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見慣れた通学路を歩き、乗り慣れた電車に乗る。
違うのは、乗客の数と年齢層、それから吊り広告。気の早い女性雑誌が、もう冬のコートの話をしている。
俺は窓の外を見ていた。全てがこれで終いなのだと思うと、何だか愛しくさえ思えてくるから不思議だ。
泣けない自分は強いのだろうか。心が白んで、感情を何処かに取りこぼしてきたようだ。
だけどあんなにも、ほんの半月前までは死にたいほどに嫌だったこの関係が、今では何か重要な一部が欠けてしまったかのようにすら思える。
砂のように、身体と心から融け出して流れて消えていく。
この肌から記憶から網膜から、坂田銀八という男の存在もいつか消失するのだろうか。
俺を喰らって増幅していった魔物のような、だけど唯一の存在。
あまりにも深すぎて、手を離した後の自分を想像することが難しい。


何を想っていたのだろう。
俺をどう見ていたのだろう。
どうして抱き締めてくれたんだろう。


未だに抱き締められた感覚がありありと腕に、骨の中にまで至るほど残っていて其処が焼けるように熱い。
内側は冷めていくのに、触れられた箇所だけが生きているように熱い。
本当にもう二度と会えないんだな。
日常すら支配されていた相手に、ある日突然会えなくなるのって、どんな感じがするんだろう。
今は未だ、実感できない。揺れる車両に意識を傾けて、彼の重みを消そうとすることしかできない。
縋ればよかったのかとも思う。助けてくれと、懇願すればもしかすればどうにかなったのかもしれない。俺の一生と代償に。
だけどどう考えたってそんなの不可能で。彼の人生を侵害する権利なんてあるはずもなくて、だからこれが一番正しいんだ。
きっと明日も明後日も来年も、彼は教師であり続けるだろう。
その日常からどこか遠く離れた場所で、俺はどうしているんだろう。そこに寂寞を感じてしまうのは俺が弱いからか?
繋がっていたいんだろうか。どんな形でも俺は、彼と結びついていたいんだろうか。
それが記憶でもなんでも、確かに俺は彼に支配されていたという証が欲しいのか。
だからあの時、忘れないでなんて言ったのかな。どうせ俺は忘れられないんだから。
どうしたって忘れられない、きっと。忘れた方が楽なのに、許されはしないんだろう。
いつまでも影が付きまとって、街で似た背格好の人を見たら目で追って、もし先生だったらどうしようなんて考えて、結局声もかけられない。
精神が剥がれていきそう。思念ごと燃え尽きてしまえたら。

嗚呼、先生。先生。さようなら。二度と会えない。二度と焦がれることもできない。

好きでしたなんて言ったら笑うんだろうな。
お前馬鹿じゃねぇの、大丈夫?ってすごく冷たい赤い目で嘲るんだ。どうせ最後なら言えばよかったのにそれすら出来なかった。
そうでもすれば少しは覚えてくれてたかもしれないのに、馬鹿だな。どうしようもなく馬鹿。
今涙が出るなんて、涙腺もイカれてる、あの時腕の中でしおらしく泣いておけばよかった、
嫌だ離れたくなんて本当はないんです、って馬鹿な女みたいにそれこそ泣けばよかったんだよ、どうせ呆れられるなら。
俺と同じような奴が出てくるかもしれないって言うのに、何でちょっとちょっかいかけたぐらいの可哀想な男子生徒のこと忘れないなんて思ったんだろう、
先生ももしかしたら少しは俺のこと、って自惚れてたのか。
最後にした夜はびっくりするほど甘くて深くて幸せで、だからそんな風に思って仕舞うのかな。
それって卑怯ですよ先生。もっと非道くしてくれたら、嫌な経験だったとしてしか残留しなかったのに。
トラウマなんかよりもっともっと鈍くて苦くて引き摺り続けるこんな糞みたいな感情。
好きだった。好きだったんだ、あの人のこと。
誤魔化して蔑んで絶対気付かないようにしてたけど最後ぐらい嘘なんて吐かなくてもいいよな?だっていくら思ったって誰に届くんだ。
これから幾つだってこうやってあの人のこと思って泣いて後悔して似た人を探そうとするんだきっと何回だって懲りずにそうしてしまうんだ。
考えただけで恐ろしいけど。

先生、先生、さようなら。さようなら。元気で。
少しだけ、俺のこと少しだけ考えたら、それが侮蔑でも何でも構わないけれど、ほんの少し思ってくれたらあとはみんなと元気で、生きて。
好きだった、あんな妙な関係だったけど、好きだった。本当に好きだった。
初めてだった。これからもたぶん、好きなまま。哀しいことだけど、きっとそう。


先生、先生、さようなら。







そんな感じで、やっとこ1部終了です ここまで読んでいただいた皆様ありがとうございましたそしてお疲れ様でした