5













知れずに飛び降りてしまっていた。
戦争を身体が覚えていたのは俺だけでなく、今俺が腰にしがみついている野郎も同じだったらしい。
当然と言えば当然なのだ、此奴はまだ前線にいるのだから。

同じ前線のはずなのに、立つ位置が少しばかり違う幼馴染みと、たった今絶交してきた。
それは嘆くべきことのはずだろうが、今の俺には縁遠い話のように思える。
腕にある体温だけで、俺は傷の痛みさえも忘れられそうなぐらいには安堵していた。

しかしそれを、桂は至極あっさりと斬り捨てる。


「…銀時」

「あ?」

「実はな、このパラシュートなんだが」

「…何?」

「初めて使うんだ、で、降り方がわかんない」


何がわかんない、だ。可愛く言えば済むと思っているんだろうか、この状況で。
上空からは砲弾が雨あられのように降ってくる(何で当たらないのか不思議すぎる)し、強風に煽られて今にも腕は離れそうだと言うのに。
だが俺はここで感情的になることを捨てた。
考えてもみろ、別にパラシュートが開かないわけではない。ふわっと着地すればすむことだ、できる限りふわっと。


「そんなん、大丈夫だろふわっと降りれば」

「この速度で落ちたらたぶん、足が折れるぞ」

「……」

「……」


途端にまた感じたこともないほどの強風が俺たちに向かって吹き付けてきた。大きく軸がぶれ、傾く。
俺は急激に恐怖感に襲われた。そっと下を向くと地上は果てしなく遠い。見なければよかった。


「うわああああ遠っ!!地上遠っ!!おっまえ馬鹿かあああ!!何で説明書読んでこねえんだ馬鹿!!
折角逃げ出せても着地失敗で死んだら元も子もねぇじゃねぇかああ!!」

「馬鹿じゃないヅラだあっ間違えた桂だああああ!!ちょ、叫ぶな貴様揺れるだろ!!」

「これが叫ばずにいられるかあああ!!お、落ち着け、そうだ海だ、海に落ちろ!それなら衝撃が何とか緩和されるだろ!!」

「あっそうか!冴えてるな貴様!じゃあいちにのさんで行くぞ!」

「はっ…?ちょ、待て行くって何処に…何する気だオイ!?」


あろうことか桂は、未だ海まで遙かな距離があるというのに徐にパラシュートを外し始めた。
もたついてくれれば止める余地もあったが、妙に機敏にてきぱきと命綱を外す。
がくん、と足がものすごい力に引っ張られたかと思うと、俺の身体はみるみる急降下して、口を開けて待つ海という名の青い怪物へ呑み込まれていった。
気が遠くなりそうなのを必死で制止。
そういえば地上50メートル以上から海に飛び降りると、海面はコンクリート並の強度を誇るらしい。
今その雑学を思い出す自分の頭を、俺はひたすらに呪いながら空を飛んだ。

















「ぶはぁあっ」

奇跡的に、俺は海中で意識を飛ばすことなく自力で浮かび上がることができた。
満身創痍の身体に腹打ちの衝撃が鞭を打ち、傷という傷に塩水がウジ虫のように入り込んできて激痛に襲われたが、ともあれ生き延びた。
家に帰るまでが遠足とはよく言うが、戦場も家に帰るまで戦場であるようだ。

火事場の馬鹿力というやつを振り絞り、手足を一心にばたつかせて犬のような泳法で浅瀬まで辿り着いたときには、もう一歩たりとも動く余力は残っていなかった。
未だ押し寄せてくる波の振動を感じながら、熱い砂浜に俺はうつぶせに倒れ込んだ。
暫くすると、控えめに波を掻き分けて歩いてくる足音が聞こえた。しかし俺には瞼を開けることすら億劫だった。


「死んだフリか?」


つい先刻まで死んだフリをしていた人間が俺を見下ろしてそんなことを言う。


「お前こそ」


瞼より先に口が開いた。ああ言えばこう言う、のは俺とこいつの間の決まり事だから。


「…謝るべきか?」

「当然だろ」

「すまなかったな」

「謝って済むかよ」

「…どうしろと言うんだ」


桂の希有な謝罪文句。それなのに何だかむかっ腹が立ってきた。
口を噤んだ俺を桂は黙ってそのまま見下ろしている、気配。
するとばしゃっと水が跳ねたので、ようやくゆっくりと瞼を開くと、桂が仰向けに海の中に横たわっていた。


「俺も悪いが、お前だって阿呆だ」

「なんだとコラヅラぁ」

「ヅラじゃない桂だ。そんな身体であんな化け物に立ち向かうなどと愚の骨頂だ。
お前のその怪我については俺は一言だって詫びるつもりはない」


短くなってしまった髪は、所在なさげに海面に靡く。
俺は何とか肘を砂に付いて起き上がり、青く青いだけの空を眺める桂を眺めた。


「詫びるのは、お前の家族を巻き込んだことに関してだけだ」


桂の言い放つ家族という響きには、どこか突き放したようなものがあった。いや、あるように聞こえただけだろうか。
確かに、よくよく考えれば心配掛けやがって、と怒るのは筋違いなのだ。何故って心配を掛けられないようにしたのは俺なのだから。
そうだな、と俺が持ち出したあるピリオドへの桂の返答は、神楽や新八のことを想ってのことだったのかもしれない。
単に、向こうはとっくに冷めていただけという可能性だってあるけれど。

だけど俺が詫びてほしいのはそんなことじゃない。
そもそも、この事態に自ら進んで巻き込まれに行ったのは神楽だ。
此奴を捜しにわざわざ船にまで乗り込んで、輩共に囲まれて、なおかつ桂を探しに行ったのは神楽なのだ。

だからそんなことで謝るな。俺が聞きたいのはそんなことじゃなくて。


「んなこと詫びてほしかねーんだよ」

「…では他に何を?」

「心配掛けてごめんなさい、だろ。一人で突っ走って怪我して死にかけてごめんなさい、だろーが」

「では党の連中に頼めと?俺自身のしがらみの為に仲間を危険に晒せと?そんなことできるか。
貴様だって俺の立場ならこうした。一人で彼奴を止めようとしただろう」

「俺はあんなやつ助けねぇ。あいつら全員ぶっ殺して平和的解決だ。もしくは手前を連れて行く」


ぴくり、と桂の肩が揺れた。波は相変わらず緩慢に一定に押し寄せ、返す。

一体何ヶ月ぶり、いや、何年ぶりだろう。此奴と魂の根っこの部分で会話をしたのは?
ああ言えばこう言う、ではなくて。そんなシステムなど取っ払った状態で。
こんな風に芯から言葉を吐き出すのは果たして、もしかすると十年以上も昔の話かもしれない。


「俺は無理だった」


わかるだろう?とでも言いたげに諦念とも取れる声音で言う。
俺を咎めているのではない、そうせざるをえない運命を嘆いているのだ。
いつだって縋れない。此奴は俺にいつだって縋ることはできない。
手を放せばうんと言って仕舞う。
だけど、もしももう一度その手を掴んだら?


「無理でも何でも、お前に死なれるよりマシだよ」

「…な、」

「だから、縋ってこいよ。余計なこと考えずに俺が必要なら必要だって言えよ。俺もそうするから」


桂がやっと上体を起こして、瞳を俺に向けた。ここ一月で、少し顔つきが厳しくなっている感じがした。


「なあ、桂」


痛む腹を抱えて、桂に近付く。ぬるっとした感触がして、傷口が開いたのだと悟る。
それでも、届かない距離じゃない。いつでも此奴は俺から届かない距離にはいなかった。
だからなのか、遠く離れて二度と会えないかってほどに遠く遠く離れてしまったときに、こんなにも辛くて寂しくて死にそうになる。
今目と鼻の先にある桂の驚いた顔でさえもちりぢりに消えて亡くなりそうで怖いのだ。
俺は臆病者。鬼だって飼っているのにな。

口づけると、ひどく塩辛かった。一度離して今度は少し、深く。
久方ぶりの桂の舌と、歯と、くちびる。
似ても似つかない俺と桂が共有している器官たち。波の音。潮のきつい匂い。
浸透する、浸透する。離れた時間を後悔ではなく謝罪で埋める。
舌を絡めるともっときつい塩味がした。
桂が首に腕を回して、俺は以前そうしていたように髪を撫でようとしたが、そこにはもう何もなくて、ただただ背中が襟が触れるばかり。
このまんま押し倒してしまいたかったけど、今の俺には到底不可能だった。
桂の傷も何処にあるのか、癒えているのかも分からない。


「ン…」

「ヅラ…、桂」

「…うん」


頷いてから、もう一度深く、桂から舌を入れてくる。
何だかわかりにくいが、どうにも縋ってきているように思えて、背中をぎゅっと抱き込んだ。折れそうに細い胴を、抱き込んだ。


「銀時、倒れろ」

「…は?」

「…俺が上に」

「え…あ、ああ…そういうことか」


徐に何を言い出すかと思いきや、桂は俺に馬乗りになった。
多少困惑はしたが、そんなものは口づけている間に消え去った。
お互い手負いで、無駄な愛撫は簡略化せざるを得ないが、この海の上ではさして必要なものではなかった。
俺は桂に余りにも、触れていなかったのだ。
桂の存在そのものだけで、肌が粟立つ。どこの中学生だよ。カッチカチの中学生、てのは俺の方らしい。


「ん…く、」


眉を潜め、瞼を固く閉じ、自ら腰を落とす様はいっそ不気味なまでにインモラルで、妖艶そのものだった。
全身に水を含んで、あちこちから滴をしたたらせて俺を求める姿に、興奮した。
ああ、此奴じゃなきゃダメだ。本当に、此奴でなくては。

桂が腰を揺さぶると、恐らく入り込んでしまった海水がぱちゃぱちゃと淫猥な音を立てる。
波の隙間から妙にくっきりと聞こえて、ぞくぞくした。


「ア、はっ、う…っ」


時折顔を顰めるのは傷が痛む所為だろう。俺も息を荒げながらそんな風に思う。
ぴりぴりと皮膚に刺す痛みすらも腰から伝わる快楽に掻き消されていく。
動き続ける桂の細腰を両腕で掴んで、掌にも桂を刻み込む。


「あ、んぅ、も、…出、」


桂がそう言って吐精すると、締め付けがきつくなって俺も其れに倣う。
後始末のことなど考慮する余裕もなく、桂の体内に全て吐き出した。
ゆっくりと桂の上体が崩れ、俺に覆い被さる格好になる。
桂は顔を見せなかった。俺の耳の横に頭を落とし、息を整えている。
少しだけ震えているから、ぼんやり、桂が泣いているのが分かった。
泣き顔見せて、とは言い出せずに、その意味だけを少し考えた。
後悔なのか、安堵なのか、ここ最近の辛かったこと全部なのか、たぶんその全てをひっくるめた涙なのだろうけど。
感情を吐露できたのならばいい。そんな風に、謝罪などよりもっとずっと希有な桂の涙をどうにかいい意味に捉えて、
濡れて着物が貼り付いた背中をぽんぽんとあやすように叩く。


「ごめんな」


きっと直ぐに泣き止む。こいつはやわじゃないんだから。こんなになったってしぶとく生き抜くような奴なんだから。
一二分すればまた毅然とした態度で、俺に悪態でも吐くんだろう。


「…ごめんで済んだら警察はいらん」

「その警察に追われてる癖に」

「だから警察などいらん」

「…それは許すってことだよな」


まったくもってわかりにくい。
だけどそういうところも、嫌いじゃない。
こういう仲直りの仕方も、嫌いじゃない。

波の音だけが聞こえていた。俺たちは、静寂を取り戻したのだ。
もう桂を求める鬼の声は聞こえない。桂に触れることを恐れる俺の声も聞こえない。

波の音だけ。それだけ。
















おわった…!
結ってつけたん初めてかもしれん。おお感激マンマミーア
そんなこんなで紅桜篇完結です。ハッピーエンドですよ。途中迷走しすぎて挫折しかけましたが何とか終わりましたよ。
お付き合いありがとうございました!