猛々しく唸る熱は即ち業火を誘発させる。火焔と硝煙の織りなす噎せるような肉の匂い。
そういえば、もう随分肉なんぞを食べていない。俺はそんなことを、立ち尽くしながら思う。
空が赤黒く染まるのは、人工でしか有り得ないのは有名な話。
何とはなしに、此所は江戸ではないんじゃないかと気付いたのは聡くなったからか。
随分と長い間此所に立っている気がする。地に根を生やしたかのように一歩も前にも後ろにも進むことができぬ。
網膜、黒い水晶体を刺激するのはあまりにも懐かしい情景たち。
焦げた屍体、地に吸われ色を変えた血溜まり、何を焼いて出ているのかわからない大きく曲がりくねった煙の嵐。
そう遠くはない昔の、しかしずっと前の戦争の記憶であるのは相違ない。
違うのは、沈黙ただそれだけだった。
此所が俺の記憶の中であるのか、はたまた寝て起きたら街が斯様になっていたのか、いまいち判別のつかない頭はぼんやりと膜に覆われているかのようだ。
「懐かしいか」
背後から掛けられたその声は、聞き覚えのあるようで初めて聞くような妙な気分にさせるものであった。
振り向けば、一瞬誰だか分からなかったが、まず間違いなく過去の己だった。
ああこんなにも痩せて、尖っていたのか。憐憫は筋違いではあるだろうが、此の時代に鏡を見る余裕などどこにもなかった。
長い髪は煤けて灰色に見えた。
「…お前」
「この情景が懐かしいか。最早貴様にとっては、懐かしい記憶でしかないか」
「彼」と呼ぶのが正しいのかどうかはさておき、対峙する瞳は静かな怒りと侮蔑の色で満ち満ちていた。
俺は暫時その瞳を覗き込む。
きゅっとほんの数秒その瞳孔が縮んだかと思えば痩身は殺意を隠しきれず飛び上がり、俺の首に赤茶けた彼の刀身はめり込もうとした。
襤褸きれのような代物だが、込められた殺意によってどこまででも鋭利になるその刀は、戦争が終わって事切れるかのように折れた。
だが今は其れが俺の息の根が止まるのを今か今かと待ち構えている。つ、と薄い血が喉仏の辺りを伝った。
「腑抜けめ!何が穏健だ!そんなことで国が変わるなら苦労はせん。貴様、どこまで自分が偉いと思っている?」
「お前には未だわかるまいよ」
「黙れ。俺は貴様のようになるのならばここで腹を切る。無様に生き延び我が身可愛さに手を抜いた革命など、無駄だ!許せない!」
喚く自分を宥めるのはどこか、気が引けた。
そして情けないことに、この狂犬を、慈悲を一度殺した己を諫める術が全くわからない。
「忘れたのか。彼奴に死なぬと誓ったことを」
「白夜叉は!彼奴は…最期まで美しく生きろと言ったのだ!今の貴様は美しいのか?」
「わからん。ではお前は美しく生きているのか」
「減らず口を!!」
ぐるりと視界が反転し、強かに頭を固い地面に打ち付けた。
まさか己に組み敷かれるときが、夢幻とはいえ訪れるとは。
何度も真っ白な鬼に佳いようにされた、頭上の炯々と光る褐色の瞳はその苦痛も快楽もいやというほど識っている。
刀は傍らに打ち捨てられた。嗚呼、俺も鬼だったのか。鬼は白いものだと思っていたが、間違っていたようだ。
「…どうだ?思い出すか?一頻り暴れた後に、よくこうされただろう?
それとも今でも、夜叉はお前を喰らうのか?お前のような腑抜けた男を。さぞ不味かろうよ」
砂を思い切り顔に投げつけられ、目に数粒入り鋭痛と共に生理的に涙が出た。
途端首に噛みつかれ、身を捩るが状況は変わらなかった。ここでは俺が不利であるらしい。
己に犯されるなど想像の範囲外で、どう感じていいかすらよくわからない。
もっと非道い犯され方をしている彼が、果たして獣に成り切れるのかも、わからない。
「ぐっぁ…!」
「今でも白夜叉はこうするのか?」
何の用意もなしに、刀柄が後孔に押し込まれて拡張せしめんとされる。
裂けていくような感覚に思わず呻き声が上がる。
ぶちりと何か切れた音がして、次に生温かい体液が滴り地面を染めるのを認める。
両脚を閉じようとするとますます苛立った力で押し広げられ、恥骨が折れそうな音を立てる。
「ゃ…めろ…っ!」
「どうしたんだ?痛い方がいいはずだろう?精神がふやけると性癖もふやけるのか?」
「やめ…うぁっあ…!」
太く固い無機質な柄が無遠慮に体内に出し入れされる。その異常な感覚に戦くが、次第に昔を思い出す。
相手が違うだけで、全く同じ行為だ。
白夜叉は俺が苦しめば苦しむほどに愉悦に顔を綻ばせた。そしてこう言うのだ。
「泣けよ。出来るだけ無様に泣き喚け」
そんで、気付けよ。お前が如何に汚い、醜い存在かってこと。
お前なんか俺に蹂躙されて、ぐちゃぐちゃに溶かされて、機械になればいい。
其れが子供っぽい夜叉の俺へのいわれのない憎しみだということに、気付いている。
覆い被さり自身がされたことを自身に反映する尖った哀しそうな過去の自分がひどく小さく見えた。
そしてわからなくなった。
過去と現在の己の比較的鮮やかだった境界線は沈む。
俺の精神はどこまでが現在でどこまでが過去だ。俺と彼は同質か異質か。
只、鋭く痛む感覚だけに、反応できる。どこまでも野性的。
「___ラ、おいヅラ!!」
引き攣るようにして覚醒すると、目の前には薄暗がりの中に浮かぶ真っ白な男。
その後ろには見慣れた万事屋の天井があった。視覚の次に触覚が戻り、自分が滝のように汗をかいていることに気付く。
両脚は相変わらず大きく開けられ、じんじんと鈍い痛みのような圧迫感のような感覚が身体の真ん中で居座っていた。
続きます 次は銀桂のターンです
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