強い潮風が、年季の入った看板を容赦なく叩く。海の風はすぐに鉄を錆びつかせてしまう。

漁師たちが数か月ぶりに帰ってきた今夜は、格段に忙しかった。大漁を祝って飲めや歌えや大騒ぎで、売り上げはよかったが、ほとほと疲れてしまった。
ようやく店仕舞いで、看板を店の中に下げようとしたその時に、店の外で倒れている客を見付けてしまった。
思わずため息を吐き、手に着いた錆を払い落としながら、泥酔し死体のようになっている男に近付いた。
和装のせいで大股開きでずんずんと歩み寄るわけにはいかないが、心境としてはそうしたいぐらいだ。これ以上世話のかかる客はごめんだ。
早く家に帰って、いつまで経っても慣れない苦しい帯を解いて、化粧を落として布団に倒れこみたかった。

「おい、起きろ。こんなところで寝られては困る」

男に声は届いていないようだった。見慣れない風情の男だ。夜目でもわかるような金色の髪に、派手な服装。店の客の中にはいなかった。
このへんの人間ではなさそうだが、こんな辺鄙な漁港に観光客などほとんどいない。流れ者だろうか。どっちにしても店の軒先で寝られるのは迷惑千万なことに変わりはない。

微動だにしない男を雪駄の爪先で小突いた。うちの客でないのだし、これぐらいはいいだろう。

「貴様、いい加減にしろ。とっとと起きんか」

男はようやくうーんと呻いたが、一向に起きる気配はなかった。腹に蹴りでも入れようかと思ったが、流石にそれはやめておいた。
ちっと舌打ちをして、男を担ぎ起こし、とりあえず座らせ、頬を数回軽く叩いてみた。

「おい。起きろと言っている」

やはり男はもごもごと呻くばかりで、目を覚まさなかった。一体どれほど飲めばこんなことになるのだろう。
仕方なく一度店に戻り、客の飲み終わったグラスに水を一杯注いで、ぐったりしている男の顔面に思いっきり水をかけた。

「おわ、っ」
「やっと目が醒めたか、この酔っ払い」
「なにしやがんだてめぇ…」
「貴様が悪い。誰に断ってここで寝ておる」
「だからってなぁ…」

男は顔を拭い、呂律の回らない抗議の言葉と共に顔を上げた。
しかし、目が合った途端に、男は息を呑んでそのまま固まってしまった。まるで幽霊にでも会ったような顔をしている。
男の声で起こされたはずが、目の前に着物の女が立っていたからだろう。そういう反応にはもう慣れた。
オカマがそんなに珍しいものか、都会から来た風な癖して。思いっきり見下した視線を送っていると、男は絞り出したような小さな声でつぶやいた。

「桂…?」
「桂じゃないヅラ子だ」

突然本名で呼ばれ、一瞬知り合いかと狼狽えたが、まるで見覚えのない顔だ。客で来ていたらこんな金髪はそうそういないから覚えているはずだ。では同窓の誰かだろうか。

「………そっか……そうだよな…」

男は何か納得したように俯き、そのまままた目を閉じてしまった。

もうこのままほっておこうかとも思ったが、呟いた様子がいやに寂しげで、悲しそうで、何となくこのまま無碍にするのが可哀想なように思えてしまった。
そもそも、自分の名を知っていたのだから、もしかしたら旧知の者かもしれない。

これも多生の縁だ、介抱してやってもいいか____そう思い、項垂れる男の肩に腕を回し、担ぎ起こして店の中に入れてやることにした。

「…世話の焼ける男だ」
独り言ちて、店の中で仕事をしている同僚のアゴ美を呼んだ。男からは、高そうな香水と、安い酒と、潮の匂いがした。
それは何となしに郷愁を煽るもので、自分はどうかしてしまったのだろうと思った。















長い間お疲れ様でした。これでようやく完結です。
後日譚的な金ズラも書きたいのですがいよいよ終わりが見えないので、とりあえず報われなさ過ぎた金時にもいい人ができそうな気配だけ…
足かけ約5年というどこの少女漫画やねんというような連載物でしたが、お付き合いいただいた根気強い方、読んでくださった方、本当にありがとうございました。