1


鉛のような空の色は、その禍々しい巨船が降下してくるのにあまりにもお誂え向きだった。

今自分たちが置かれている悲惨な状況の元凶が、その船の主であることぐらい、新八も知っている。
そして、その男と自分の上司との間に、避けがたい因縁があることも。

以前にも一度、この船で骨肉の争いが起きたことがあった。
新八は同じ船の上で、生まれて初めて真剣での真っ向勝負を経験し、おびただしい天人の群れに囲まれた。
今から思えば、よく生き延びたものだと思う。それは銀時と、起死回生を遂げた桂の二人がいたからだろう。自分はあまり深い傷も負わずに済んだ。
だが、今度ばかりはそうもいかなさそうだ、と新八は先の勝負で負った足の傷の痛みに眉をしかめながら思った。戦闘部族である神楽でさえ、まだ回復しきっていない。

銀時は、まだここには来ていない。だが、新八には根拠のない自信があった。
銀さんは、絶対に大丈夫だと。この先の行く手に、どんな手ごわい敵が現れても、きっと僕らとかぶき町のみんなを護り抜いてくれる。

それでも、船が地上に近づいてくるにつれ、脂汗が首や掌にじんわりと滲んでくるのを感じた。

新八は後方を振り返った。真選組の面々が、彼と神楽に倣い物陰に息をひそめながら、船への突入命令を今か今かと待っている。
彼らの目には爛爛と闘志が滾り、彼らもまた侍であることを物語っていた。

「全軍突入うううう!!!」

船が完全に着地する寸前、近藤の号令で、一斉に船への攻撃が始まった。沖田の常のそれより何十倍もある大筒が火を噴く。
とても愉快そうに兵器を使いこなす沖田を、敵に回すべき相手ではないと誰もが感じた。

「新八ィ、ぼさっとしてないでワタシたちも行くアルよ!」

少女に尻を蹴飛ばされ、新八は前につんのめりながらも船の内部へ向かって走り出した。

当然、この奇襲に黙っている連中ではない。すぐに敵方も応戦の体制を整え、泥臭い殺し合いが始まった。中には天人の姿さえある。

本当に、あの男__高杉は何がしたいのだろう。
新八は襲い来る敵をかわしながら(正確には神楽に蹴散らしてもらいながら)、人質となっているそよ姫が囚われている船の地下を目指す。
普段の生活で逃げ足を鍛えられたお陰か、運がよかったのか、驚くほどあっさりと目的の場所まで辿り着いた。
あまりのあっけなさに思わず安堵してしまいそうになったが、これは罠の可能性があるということにすぐに気付いた。
神楽も同じようで、地下の警備の希薄さに明らかな不審さを感じ取り、物々しく傘を構えなおした。

「…ここにはいないのかな」

地下はあまりにも静かだった。すぐ頭の上では、血で血を洗う戦闘が繰り広げられているなど俄かには信じ難かった。

「引き返した方がよさそうアルな」

神楽は傘の先端を注意深く四方に向けつつ言った。新八もそうだね、と頷き、踵を返したその時だった。

「…ちゃん!!しん…さん!!」

途切れ途切れに、長く暗い廊下の先からそよ姫の声が響いたのを、二人は聞き逃さなかった。

これが罠かもしれないと二人とも暗黙の内に確認し合っていたが、それでも、彼女の声を聞いたとあらば黙って引き返すわけにはいかない。
脱兎のごとく二人は奥へと走った。

「神楽ちゃん!新八さん!!」
「そよちゃん!!今行くからネ!!」

そよ姫の声が段々はっきりと聞こえ始め、その姿が小さく確認できた頃だった。

「!!」

二人の目の前に、何か大きな影がゆっくりと立ちはだかる。二人は反射的に足を止め、刀と傘を構えた。
人影と呼ぶには大きすぎるそれが何なのか、新八は理解に苦しんだ。ぺたぺたと吸いつくような足音を立てて、それは近づいて来る。
薄暗がりの中から現れたその姿に、新八は思わずあっと声を上げた。

「エリザベス…!?」

一瞬、自分たちの援護にかけつけてくれたのだと新八は思った。
だが、それならばどうして道を阻むようなことをするのだろう。何よりも、どうして彼の刀の切っ先は、真っ直ぐ自分たちに向いているのだろう。

「エリー…どうして」

神楽の声は震えていた。新八と同じく、彼女もまた目の前の情景が紡ぐ残酷な現実に身体を貫かれているようだった。

エリザベスがいつものようにプレートで、下手くそな文字を掲げた。そこには、新八と神楽が期待した言葉はなく、『何も聞くな』とだけ書かれていた。

「そんな…ウソだろ」

エリザベスは相変わらず刀をこちらに向けたまま、後退も前進もせずにいる。
嫌だ、闘いたくない、と新八は強く思った。正確には、戦わせたくない、と。
だって、この人がここにいるってことは。

「…エリー、そこを退くヨロシ」

神楽は先ほどとはがらりと変わった、冷たいよく通る声でそう言った。それは事実上の宣戦布告だった。
神楽はしっかりと一度は地面に向けた傘を、エリザベスに向け直す。

「神楽ちゃんっ」
「ぱっつぁんよぉ、ここはとっととワタシたちでこいつら片付けてしまうのがイイネ。さもないと、あの天パとこいつの飼い主が…」
「だーれが天パだ」

背後からの間延びした声に驚き振りかえると、そこには常よりもダルそうに頭を掻きつつこちらへ歩み寄る、万事屋の主人がいた。

「銀ちゃ…」
「俺のはオシャレパーマだって何回言えばわかんだ」
「銀さんっ!銀さんは上に行ってください!そよ姫は僕たちに任せて…っ」

新八はほとんど懇願するようにそう言った。誰よりも頼れる総大将の登場だったが、今ここに一番来てはいけない人物の登場でもあった。
だが銀時は、新八の言葉を遮りつつ、二人を押しのけてエリザベスと対峙した。

「やめとけ。お前らに倒せる相手じゃねえ」

そう言いつつ、銀時はエリザベスの方はまるで見てはいなかった。その背後にある、真っ暗な闇を見詰めていた。そこに誰がいるのかは、問うまでもなかった。

「そうだよなあ?ヅラぁ」

漆黒の陰がゆらりと動いたような気がした。静かな足音が響く。エリザベスの後ろから、聞き慣れた声で、聞き飽きた常套句が返ってきた。

「ヅラじゃない、桂だ」







2





 「晋助は本当に悪趣味でござるな」

監視カメラの白黒画面を見ながら、河上は思わず本音を零した。
高杉はさも愉快そうに、片方の目を半月形に歪めて笑って言った。

「できることなら目の前で拝みたかったぜ。これ以上の見世物には滅多にお目にかかれねえ」
「戦場となっておる船ではそれはできぬ相談でござる」

高杉は何も言わず画面を見続ける。小さな四角の中で、鬱陶しい長い黒と、更に鬱陶しい天然パーマの白が、間合いを充分に取ったまま、ぼんやりと浮かんでいる。

高杉はかつて、同じ船の上で、同じふたつの色が背中合わせで、己に馬鹿げた捨て台詞を吐いたことを思い出していた。
全力でてめーをぶった斬る、とか何とか言っていたが、結末はどうだ。ぶった斬る相手は高杉ではなく、背を預けた正にその相手となっている。
それが何とも皮肉で、どうにも高杉は可笑しくって堪らずに、さっきからにやにやと笑みがこぼれるのを抑えきれないのだった。
彼がこんなにも愉快な気分になったのはとても久しぶりのことだった。

「そういやあよォ、俺はあいつらが本気で殺り合うのを見たことがねえんだ」

高杉がそう言うと、河上もまた、少し興味をそそられたようで、渋かった顔が少しだけゆるんだ。

白夜叉の尋常ならざる強さは、これまで何度かやり合って嫌というほど分かっている。
一方の桂も、血なまぐさい戦争の時代から現在に至るまで、攘夷活動の第一線に立ち続ける強者だ。
幼き頃から互いに護り護られ、手を貸し合い背を預け合って闘いに身を投じて来た彼らの、本当はどちらが強いのか。
今までけして、恐らく当人同士も知ることのできなかった優劣が、今正にこの過ぎた余興によって白日に晒されようとしている。
確かにこれは世紀の決闘と言っていいだろう。それを目の前にして、好奇心を煽られないのは不自然なことだった。
河上は思わず、濃い色眼鏡の向こうで両の眼をぐっと細めた。

「さァて、お手並拝見」







3





「ヅラぁ、…退くなら今のうちだぜ、3つ数える間に腹決めろや」
「ヅラじゃない桂だ。貴様こそそよ殿を諦めてとっとと尻尾を巻いて逃げるならば今の内だぞ、まあ貴様の賤しい頭はすでに定春殿のウ○コ並みにとぐろを巻いておるが」
「残念でした〜!うちの定春はそんな健康的なウ○コはしませ〜ん!特価のドッグフードに変えてから最近常に何かちょっと先細ってますぅ」
「何だと貴様アア!!定春殿ももう立派なシニアだぞ!いいか、犬は子犬の期間を過ぎたらあとはずっとシニアなんだ!!特価ではなく5歳から15歳用の歯と内臓と
毛のもふもふ感のケアに重点を置いたちょっと高いドッグフードをやらんとはそれでも貴様侍か!世話できないんなら最初っから犬なんて飼うんじゃありません!」
「何の話をしてんだアアア!!」

固唾を呑んで銀時と桂の対峙を見詰めていた新八は遂に根を上げ、至極どうでもいい阿呆な内容の言い合いを遮った。
一瞬、今のこの緊迫した状況を忘れかけたが、あくまで銀時の手には木刀が、桂の手には使いこまれた日本刀が握られている。
その切っ先はまだ地に向いているが、今にも相手の心臓を狙い研ぎ澄まされる予感を孕んで、びりびりと電流を帯びている。

「今犬のウ○コの話どうでもいいから!!定春可哀相だよ!!ここにいないのに下の事情お姫様の前でバラされて」
「あの…すいません、特価のドッグフードってそんなに悪いものなんですか…?あ、別にうちで与えているのが特売のドッグフードっていうわけじゃなくて、
単に今後のペットライフに生かすために」
「おめーはペットライフより先にマイライフがアブねーんだよ!!」
「あーもーうるせーなー、めんどくせーからとりあえず三つ数えんぞ、もう何で三つ数える必要あんのか忘れたけど」
「数えるまでもないだろう、確かにマングローブというややこしい名前だが奴は紛れもなく一本」
「そのミッツじゃねーし!!ていうか思春期の姫の前でとんでもないこと言い出したよこの腐れロン毛!!」

下らない応酬の背後で、神楽が密かに移動しているのを新八は悟った。隙を突いてそよ姫の牢を破壊しようと、そっと牢の柵に手をかける。
あとはその剛力が穴を開けるのを待つだけだ。それまで何とか自分が間を繋がなければ___新八がそんなことを考えていたその時、今まで飄飄と最低な下ネタを
話していた桂の体軸が、ふらっと揺れ動いた。

その次の瞬間には、彼の刀の柄が神楽の腹に痛烈な一打を打ちこんでいた。

「ぐぅっ…!」

回復も不完全だった神楽の小さな体はそのまま突きあげられ、浮遊し、どおんという激しい音を立てて新八の背後に落下した。

「か…神楽ちゃんんん!!!」
「リーダー、いけないぞ。まだ三つ数え終わっておらんだろう」
「お、…っお前えええっ!!よくも…よくもこんなこと…!!」

新八が神楽に駆け寄り、そう叫び終わらない内に、空気を震わせるほどの殺気が辺りを覆った。
それが銀時から発せられているものだということは、すぐにわかった。そして、

「いぃいいいいぃち!!!!」

というたったひとつの数字の怒声と共に、銀時の木刀が、桂の腹に向かって真っすぐ伸び、鉄をも吹き飛ばす力で桂に打ち込まれた。
その衝撃で桂は吹っ飛び、堅いコンクリートの壁に背中を叩きつけられた。パラパラと鉄片が落ち、壁にはいくつも罅が入った。
骨のひとつやふたつ、折れるぐらいでは済まされない筈の衝撃なのに、桂は何事もなかったかのように体勢を整える。
すかさず銀時が木刀を振り翳したが、桂はその剣を見越していたように自らの剣で盾を作り、攻撃を受け止めた。

「呆れたな…数の数え方も知らんのか、どこ中出身だ貴様」
「残念ながらてめーと全く同じ中学だよ、このゲス野郎」

二つの剣が今にも砕けそうな音を立てて交り合う。真剣と木刀、材質の違う二つの剣。それでも、その刃先が向かうのは、いつだって同じ方向だった。
彼らは刃を向かい合わせるべきではない、そう感じるのに、新八はただぐったりとする神楽を抱き起しながら、傍観者に徹するしかなかった。
目の前にはエリザベスが塗り壁のように立ち塞がり、少しでも妙な動きを見せればすぐにでも斬るといった風に真剣を新八と動きもできない神楽に向けている。

桂が銀時の腹に蹴りを入れ、今度は銀時が吹っ飛んだ。しかし吹っ飛んだ当人は屁でもないといった風にすぐに立ち上がり、襲いかかる桂の剣を弾き、
隙を見て心臓に照準を合わせ斬りかかる。その動きをまるで見越していたように桂は一歩半ほど左に迅速に動き、今度は銀時の脇を狙う。
どちらも確実に相手の急所を狙い続けるが、互いの剣先は相手を掠めもしない。

彼らが如何に長く隣にありすぎたか、如何に共に闘い続けて来たか____命のやり取りをしているのに、新八は二人の絆を感じ取ってしまった。
本来ならば銀時だけを心配し、援護するべきなのに、そうできない。どちらにも倒れてほしくなどない。
今や桂は疑う余地もなく敵であるということはわかっている。それでも、桂にも生きていてほしいと新八は強く思った。
銀時より短い時間しか共有していない自分でさえそう思うのに、況や銀時が本気で桂を殺めたいと思っているだろうか。
掴みどころのない銀時のことでも、そのぐらいは自分にもわかる。だが現実は、この場で桂を倒さなければ江戸の未来は危うく、そして桂を倒せる可能性を持つのは
銀時以外にいない。

新八の両手は、ぶるぶると震え始めた。何もできない自分の卑小さと不甲斐なさ、あまりに辛い現実に、少年の胸は焼け爛れるようだった。
何をどうすれば一番いいのかわからなくて、ぼろぼろと涙が出る。尚も止まない生々しい闘いの音が、耳を劈いた。
白い影の隙間から見えるのは、致命的とは言わないまでもそれなりに同じ位の傷を負って、着実に消耗し始めた銀時と桂の姿だ。
上がる息を殺して相手の隙を探し続ける様は、飢えた獣のようでもあり、護るべきものを護ろうとする彼らの本来の姿そのものでもあった。

「っエリザベス!!もう止めさせてくれよ!!」

どうにもならないことを知りながら、新八は今は自分たちに背を向けて、繰り広げられる血闘をただ見ているエリザベスに向かって泣きながら絶叫した。

「どうしてだよ!!どうしてこんなことになるんだよオオ!!エリザベスッ!!」

白い背は何も語らない。叫ぶ自分の声が、大きすぎて段々聞こえにくくなってきた。
腕の中の少女の体温だけが、妙に生々しく感じられて、新八はせめて彼女には自分と同じ思いはさせまいと、彼女の今は閉じられている両眼を塞いだ。

何だか急に、怒りよりも悲しみが大きく膨らんで、新八は泣き崩れた。
ひとしきり泣いて、顔を上げたら、全てが終わっていてほしい。いつもの温かい家に帰って、勝手な桂を全員でぼこぼこにしてやりたい。
殴るだけ殴ったら、全部を水に流して、また普段通りにみんなで馬鹿をやるのに。
新八はそんな子供のような願いを、心の中で何遍も繰り返した。







4





エリザベスは少年の啜り泣く声を背に受けながら、虚ろな眼のままで、ただ真っ直ぐに前を見続けた。
まるで言いつけをよく守る忠犬のように、そこからじっと動かなかった。

地球に来て以来、侍という生き物について、エリザベスはよく学んだ。自分の星とはまるで違う文化を、最初は鼻で嗤っていたが、今はよく理解している。
だからこそ、立っているのだ。援護も、隙だらけの背後の小さな侍への攻撃も、人質を攫うこともせず、ただ立っているのだ。

『いいか、エリザベス。武士というものは、必ず一対一で勝負をするものだ。相手と差し向かい、相手が何を思い、何を護るのかを知る。
その一切を、後は俺が引き受けるといった覚悟でないと、剣を振るってはならん』

そんな桂の言葉を聞き、侍というのは何と非合理的な種族だろうと思っていた。何故殺す相手の人生まで背負い込む必要があるのかわからなかった。
そんなことを続けていれば、死人の魂に押し潰されて、自滅してしまう。所詮は桂の美学に過ぎないだろうと思っていた。

だが違った。桂以外にも、彼の言う通りの美学に沿って生きている馬鹿がいた。それこそが、今桂が仕留めんとする坂田銀時という男だった。

彼らを見ている内、侍という種族が誇り高く、愚直で、美しいものなのだと思えるようになった。生き方はそれぞれに違っても、芯の部分はまるで同じだった。
だから、桂がこうなることを選んだ時、戸惑いもした。エリザベスが何かを問いかける前に、桂は言った。

『攘夷を掲げた侍である以上、こうするより他はない。…エリザベス。お前自身がどうするかは、お前にすべて任せる』

排他されるべき存在である己が、攘夷志士と共に国盗りをするなど、滑稽な話だ。
自分は高杉・春雨一派ではなく、坂田銀時や真選組に与するのが正しい。国を更地に戻し、侍だけの国を再建するのではなく、共に生きていく道を模索する。
桂も本当は、後者の考えを持っているはずだ。だからこそ今まで穏健派として、武力に訴えることなく双方が生き延びる道を探し続けてきた。
それでも、高杉に協力するのは、自らが束ねた志士たちの面目を、その命を守るためだろう。

事の発端は、攘夷志士の粛清令が出されたことだ。突然のお上の決定には、市井の者も面喰らったようだった。
過激派も穏健派も、その手法を問わず攘夷を掲げる者は問答無用で粛清するという、狂気じみたその決定は、あちこちに散らばる攘夷志士たちを憤慨させた。
そこに、過激派の筆頭株高杉一派が、先陣を切って幕府に攻撃を仕掛けた。
堂々と倒幕し、攘夷志士たちによる新たな統制機関を築き上げる__それが高杉の声明だった。

桂一派以外の穏健派も、今回ばかりは軒並み高杉の意見に賛同した。殺される前に殺す、という至極当たり前の原則に皆が従ったまでの結果である。
きっと桂は、このかぶき町を破壊するようなことは望んでいない。それでも、今ここで立場を弁えなければ、桂一派は攘夷派からも国からも命を狙われる
八方ふさがりの状況に陥ってしまう。そして、高杉らによるそよ姫の拉致をきっかけに、前面衝突と相成った。

党の者は、今回の事件の後、高杉一派に加勢することとなっても、誰も何も言わなかった。
恐らく、少なくない人間が過激すぎるテロ行為に反発心を持っていることだろう。それでも、党首の想いを皆が汲んでいた。
誰よりも気が進まないのは先陣を切る桂だということを、皆知っていた。

___だが、遂に今まで仲間に引き入れられないかと模索していた程の腕の立つ侍、旧友であり、かつて背を預け合った最も信頼の置ける男、坂田銀時を桂が
迎え撃ちに行こうとした時は、多くの者が切腹覚悟で行く手を阻んだ。あなたが行くことはない、と口々に彼らは説得の言葉を口にしたが、桂は穏やかに首を振った。

「俺以外で、あいつに敵う者はこのかぶき町にはおらんだろう」

桂の表情には一点の曇りもなかった。旧友とまた会えることを喜んでいるようにさえ見えた。

叱咤や怒号などより、その微笑みは桂の決意の固さを周囲に伝えた。おのずと、部下たちは道を開けた。中には啜り泣く者さえいた。
部下たちが作った花道を歩いて行く桂の背中は、凛と伸び、雄々しくも優雅でもあり、また儚くもあった。

エリザベスは何も言わず、その背中を追った。その時にふと耳に入った誰ぞの言葉が、起こってほしくなかった事態をただ眺めている今になって、まるで耳元で囁かれたような質感で蘇った。

『…本当にこれでよかったのかな、俺達』







5





俺は知ってるぜ、ヅラぁ。お前のことが全部、手に取るように分かる。

銀時は頭の中で語りかけた。それは手の内を見破っているという意味でもあり、もっと本質を見破っているという意味でもあった。

事実、銀時は桂の繰り出す刀技を瞬時に察知し、最も適当な方向へ身をかわし続けている。
対する桂も、銀時の一見無鉄砲で荒々しい動きを身体で感じ取り、同じく攻撃を上手く避ける。

お互い殆ど負傷はしていない。体力勝負、持久戦が続くことになるのは、始めから重々承知していた。
だからこそ、一手で仕留めなければならない。確実に相手の致命傷になるダメージを、一振りで相手に与えなければならない。
普段はお互い隙だらけなのに、命のやり取りとなると途端に修羅と化す。たとえ相手が幼少の頃からの腐れ縁でもだ。

<>pたとえ一瞬でも、昔のことを思い出したり、情に絆されたりすればお終いだ。

意識の底で、銀時は何度もその警告を咀嚼した。他のことは一切考えないよう努めた。

昔と同じだ。大昔、自分よりもずっと体躯の大きい男たちを殺し、金品や食糧を奪って生き延びていた頃と。あるいは戦争の頃と。
違うのは、それぞれ護るべき大きなものがあるということ。護り通すと決めたものがあること。
ここで負ければ後はない__それだけは、幼少の頃や戦時と一致していた。

だが、ここでの敗北は、この町に住まう民の命や安寧をも奪い去ることを意味している。
失うものは、己を護っていた頃とも、仲間を護っていた頃とも比べ物にならないほどに大きく、多い。

 何度目か知れない剣と剣の交わりが跳ね除けられ、一旦間合いを取る。お互いに消耗が見られ、息が上がる。睨み合いながら、相手の次の動きを待つ。

コイツを殺す日が来るとはな、と銀時はせせら笑った。殺伐としていた頃は、罵り合ったり殴り合ったり、何度も殺してやりたいと思ったことがあった。
あの頃の俺と選手交代してやりてぇもんだ、銀時は思った。そうしたら、この足の動きの微妙な鈍さなどすぐに消え失せよう。

「ヅラぁ、もういい加減諦めろや。お前が俺に剣で勝ったことなんざ一度もねえだろうが」
「それはお前の賤しい頭が作り出した勝手な妄想だ。お前に勝ったことぐらい何度もあるわ」

わざと過去の話をしたのは、桂の気を少しでも逸らすためだった。しかし意に反して、桂の構える剣には些かのブレもない。

「俺はお前に勝ったことも負けたことも、それがいつどこでどんな顛末でそうなったのかも、全て記憶している。貴様はもう疾うに忘れておるだろうがな」

あろうことか自分の浅はかな攻撃が、銀時自身に跳ね返る結果となった。

不意に、幼いころ桂と何度も剣術に励んだ情景が、ごちゃまぜになって銀時の脳裏を駆け巡っていったのだ。
聞こえる筈もない、幼い桂の声が、囃したてる童共の野次が、師の声が、彎曲して耳の奥でごうごうと鳴った。

あの頃、塾生の中で銀時とそれなりに立ち回れるのは桂だけだった。
そもそも皆銀時を避けていたから、正面切って勝負を申し出る馬鹿は桂ぐらいのものだったのだ。
始めの頃は全く歯が立たなかった桂だったが、日増しに腕を磨き、徐々に倒されるまでの時間が長くなって、いつしか殆ど対等に渡り合えるようになった。
初めて銀時から一本を取った日、桂は息を荒げながら、銀時に握手を求めて言った。

「これで対等だ。今日から、俺達は正真正銘の友だ」

異形をした尋常ならざる強さと残虐性を持った自分と、対等な関係を結びたいと言った人間は、桂が初めてだった。
虐げるか、虐げられるか、そんな凝り固まった銀時の価値観をぶっ壊したのは桂だ。
桂は、銀時を人間に近付けた。人との距離の取り方に、悪意や企み、金品が不要なものもあるのだと銀時に身を以て知らしめた。
桂の価値観を、いつの間にか銀時も共有しはじめていた。その価値観こそが、侍の其れであるということを、銀時は知らずに自らの深い奥底へ落とし込んでいた。

目の前の景色が、現実味を失ったその一瞬。

「銀さん!!!!」

新八の悲鳴ともつかない呼び声に、はっと我に返るが早いか、真剣が肉を抉り、血を吸う音を聞いた。
ぐらつく意識と視界の中に、桂の俯いた顔を認める。目を見ないで斬るなんて卑怯だぞてめぇ、悪態を吐きたかったが、銀時に声は与えられなかった。







6





「…これは意外」

四角い画面の中で、旧友の白刃の下に倒れた白夜叉の姿が、河上には俄かに信じられなかった。

どんな攻撃を喰らっても、どんなにその身体が血に染まっても、強靭な意志の力か何かによって、何度でも這いあがってくるような化け物じみた男が、あっさりと敗れた。
それも、互角の力と武器で闘った相手に。

「そうでもねえよ」

高杉は煙管を吹かしながら言った。

「あいつにヅラは斬れねえ」

高杉のその言葉の背後には、確信が潜んでいた。恐らく、河上の与り知らぬ、遠い過去の何かに裏付けられたものなのだろう。
そればかりは、高杉自身にしか分からないことだ。

「…?晋助、この画像、おかしくはござらんか」

監視カメラの映像の右端に常に表示されている、時間経過。今が一体何時なのか、ここ最近殆ど気にかけていなかったが、今は日没間際であることは
小窓から差し込む陽の色でわかる。ところが、画面の中の時間は、午後3時を過ぎたところだ。監視カメラというからには、映像と現時刻が一致していないとおかしい。
河上が慌てて時計を確認しようとした、まさにその時だった。

ゴォンという破壊音が響き、守衛につけていた浪士たちが鈴なりになって部屋に雪崩れ込んできた。
咄嗟に真選組に嗅ぎ付かれたのかと河上は身構えたが、彼の予感は違うと告げていた。
もっと厄介で、もっと強力な誰か別の人間に見つかった__それは坂田銀時と相まみえた時に覚えたことのある、強烈な悪い予感だった。

あの男が生きていたのか、そう思った矢先に、高杉が寸分も姿勢を変えないまま、まるで誰がここに来るか知っていたような口ぶりで言った。

「随分と手の込んだ悪戯だな、ヅラぁ」
「ヅラじゃない桂だ。あと悪戯じゃない、宣戦布告だ」

高杉はくくっと馬鹿にしたように笑い、煙管の残りをゆっくりと吹かした。

「そいつぁ手前んとこの党の共通の見解と捉えていいんだな?」
「違う。これはあくまで俺が独断で、党の意向を無視して行った反逆だ。貴様に宣戦布告しているのは俺一人だ」

先ほど画面の中で踊っていた美しい剣先が、今は河上と高杉とに真っすぐ向けられていた。

剣と同じように凛と立つ桂小太郎の背後には、彼の抱える大勢の部下だけでなく、治安を脅かされ続けている市井の者、ひいては国そのものの姿が見えた。
生身ひとつで、国を護ろうとしている姿は、美しく清らかであるが、愚かでもあった。河上は抜刀せず、ただ目の前の愚かな男と向き合った。

「大層なこった」

高杉は愉快そうに言い、煙管の灰を落とした。煙を吐き出しながら、ようやく振り向いて桂を隻眼の狭い視界に迎え入れる。

「やっぱり手前には、銀時は殺れなかったな」
「奴のことはどうでもいい。貴様のやっていることは無意味だ、高杉。国盗りでなく国滅ぼしをするなど一介の武士がやれることでもなければ、やるべきことでもない」
「だから俺を殺すってのか?それこそ無意味なことだと思うがね」

そう言うと、高杉は徐に監視カメラの映像を別の場所のものに切り替えた。

そこには、既に火の海と化した大型船と、逃げまどい焼かれていく人々の姿が映し出されていた。

「_____!!」
「残念だったな、ヅラ。俺をうまく騙したつもりだったかもしれねぇが、騙されてたのは端から手前の方だ。あの船自体、いや、将軍の妹君様そのものが陽動だ」

桂は呼吸すら一瞬忘れてしまった。陽動のためだけに、何人もの仲間の命を犠牲にしたという事実が、桂の頭を打った。
むざむざと殺すためだけに囲った浪士、人質。中には本気で国の行く末を憂慮して、高杉に協力した志士もいたであろうに。
まるで塵か何かのようにあっさりと仲間を捨てただなんて。

「貴様…そこまで腐りきっておったのか」

怒りに声を震わせて桂が問うと、高杉はひとつしかない眼をいやらしく細めた。

懲りもせずに、まだ話をすれば打開案が見つかるかもしれないと、まだ昔のままの高杉が残っているかもしれないと、ちらとでも考えていた自分に桂は心底呆れかえった。あの船には自分の大切な仲間も置いてきてしまった。咎を受けるのは己一人でいいと、たった一人敵の本丸に乗り込んだのに、自分だけがあの業火から逃げ出す結果となってしまった。
もはや高杉には、かつて共に学び共に闘った高杉には、破壊願望と絶対的な悪意しか残ってはいなかった。
道は完全に平行線上に乗り上げていたのだ。そんなことは、以前の騒ぎで重々身に沁みた筈だったのに。

 桂はひとつ息を吸った。絶望の鐘が鳴る一方、冷静な決断を僅かな時間ですることができた。
話し合いは愚か、一騎討ちも望めない状況であるならば、残された選択肢は一つだ。

この国を護るために、皆を生かすために。そのためならこの身の一つぐらい、すぐにでも差し出そう。
侍は死ぬる覚悟を暁と共に決め、一日を過ごすもの。とうに死への覚悟は決めてきた。

「高杉。貴様とはもう、何を話しても無駄だな」

突如として変わった桂の表情に、河上は驚いた。つい今しがた、激しい憎悪と嫌悪を顕わにしていたその眼が、まるで宇宙の暗闇のような、凪いだ海のような色に
変わったのだ。それは何かしらの決定が為され、悟りを生んだ眼だった。

河上はまずいと感じ、鞘に収めていた刀を乱雑に抜いたが、少し遅かった。

桂は刀を放り投げ、代わりに懐からいくつかの小さな装置を取り出した。それらが何らかの起爆装置であることは、明らかだった。

桂は穏やかに微笑みながら、ボタンを押した。


どうしても、どうしても銀時VS桂が書きたかった…ら、最終回妄想になってもうた!
収拾つかなくなってしまったので、続きはまたいずれ…;へ;