別れたくない、と例えばここで言ったらどうなるだろう。
桂は微笑んで、仕様のない男だな、と俺の頭を撫でるだろうか。
慈母のように、柔らかい手つきで。数多の命を奪ってきた者の手とは思えないほど優雅な細い指で。
桂は俺の髪が好きだと言っていた。白くてふわふわしてて、可愛いと思う、と。
今もそれは変わっていないだろうか。これから先、狭いかぶき町のどこかで偶さかに出逢った時も、変わらずそう思うのだろうか。
俺はきっとこう思う。ああ、彼奴の髪は綺麗だなあと。
その時風が吹いていても止んでいても、雪がちらついていても驚くほどによく晴れていても、雨が降っていても、きっとそう思う。
黒い髪は触れるといつも冷たかった。擽るように俺の指を掠めていった。たまに一本、はらりと抜けることがあった。
その時俺は禿げろ禿げろと呪いを掛けてやる一方で、何だか落ち葉みたいだなあなんて柄にもなく風流なことを思ったものだった。
今日から百日経った日のことを考えてみる。別れ話を切り出したのはどちらになるのか。
何が原因で、何が障害で。此は良い判断だったのか、そうではなかったのか。
答えはわからない。百日経ってみないことにはわからない。
「どうでもいいが、飲み代は返せよ」
桂はそう言うと腰に剣を差し、ソファから立ち上がって「またな」と言って去っていった。
だから俺も「ああ、またな」と言った。次に会う時は、もうお前は俺の連れではない。
一切合切、水に流れたのだ。残っているのは、お天道様に顔向けできるような具合の事実だけ。
幼馴染みで、戦友だったこともある。この町で再会して、今は飲み仲間。
たったこれだけだ。本当はもっともっと濃くて汚くて醜かった俺たちの関係。だけどもう、本日付で「なかったこと」になった。
今からを生きるに当たってこれは至って正しい判断だと今日の俺たちは思った。
この町に来るまでは、俺には桂しかいなかったが、今はもう違う。
あの時の別れは身を引き裂かれたような別れだったけれど、何もかもを失ったような気分にさえ陥ったけれど、今はそうではない。
他に持てるものがお互いできてしまった。拠り所を作ってしまった。
存外俺は虚無感を感じていない。彼奴を一番知っているのは俺だと今でも思うけれど、これからも全部知る必要性は必ずしもない。
知ろうとすればするほど、届かなくて、苦しくなる。
真っ当に生きるには、男同士の異常な馴れ合いは、障害以外の何物でもないのだ。
戦争は、終わった。俺たちは現実を生きていく。
だからこれでいい。今までが間違っていて、これからが正しい。そう思えるのは紛いなりにも成長できた証だろうか。
それでも、きっとお前の長い髪を思い出す度に、綺麗だったなあなんて郷愁に浸るんだろう、俺は。髪の一筋だけが、俺の人生に残っている。
過去を切り捨てて生きてける程度に、器用になれたらなあ。不器用な自分を、初めて不甲斐なく思った。