厠のぼろ切れのような板の隙間から差し込む月光だけが、世界が闇に支配されて
しまったのではないと証明するものだった。併しその薄い光が照らすのは絶えず
飛び交う蠅々か、それよりも眼を背けたい自分たちの、背徳に溺れている姿であ
る。銀時はこんな暗がりでどうして的確に自分の躯を弄ぶことができるのか、桂
には不思議で仕様がなかった。
「うぅ…っぅ、う」
荒くなる息は抑制が利かず、だが大きく息を吸えばたちまち糞尿の臭いに噎せ返る。
小刻みに呼吸をしても苦しくなるだけだった。
それでも波のように押し寄せる悦楽。自身の雄が銀時の、旧友の施す胸の悪くな
るような愛撫で形を変えていることぐらい、桂はとっくに知っていた。
「うぁ…ァっ」
「…そろそろ、」
いくぜ?と、耳元で銀時のいつもより数段低い声。今までに通じた女がいるかは
桂の知るところではないが、女の耳元でもまたこんな風に合図を送るのだろうか
、と桂はふと思った。俺は絶対こんな風に、傲慢に尋ねたりなんかしない。自分
の欲の限界を基準にしたりなど断じてしない。そう誓いもした。
だってこの行為に痛みは付き物だということは、よく判っているのだから。
「ぐっ…ぅ、」
狭い尻の孔にめり込む痛みとはいつまでたっても懇ろになれず、斬られたときと
は全く別物のその内部を浸す鈍痛に堪えようと桂の汗まみれの両の掌はいつの間
にか銀時の背中を握りしめていた。
ずぶずぶと異物が入り込む音が聞こえて、耳を切り落としたい衝動に駆られても
必死に銀時の背に縋る今の桂には到底無理な話である。そして次第に、痛みは不
気味な快楽という化け物と共存しはじめ、寄ってたかって桂の全身の熱を上げる。
「あ、あァぅ…っ!」
「舌噛むなよ」
銀時が律動の隙間から忠告してくる。桂が細い背中を預けた薄い薄い仕切板は揺
れに合わせてぎぃぎぃ軋む。口もとから溢れ出てくる叫びでも笑い声でもない高
い自身の声を、桂は心底憎むのに。今はこんなにも、なにもかもどうでもいいな
んて。
「ひ、ひる、ま、あんなに、うご、いてた、くせに…ぃ!」
「…うっせー…っ」
昼間、おぞましい異形をした天人どもを殺し尽くした衝動と同じものを、銀時は
桂の痩身にぶつけてくるようだった。突き上げられる度に桂から漏れる甘ったる
い歓喜の声。
いつから?いつからこんな声を出すことに甘んじて仕舞ったのだろう。
桂にはもう思い出せなかった。萩の蛙狩りと同じ次元の話のように思えたが、銀
時に抱かれるようになった頃の記憶は未だ鮮明で、きっとそんなに昔話であるは
ずはなかった。
堅い板に押しつけられた背が、開かされた足が痛んだ。それを凌駕する快楽に桂
の脳髄はとろとろに溶けていくようだった。
「あ、アぅあぁっ!い、や、ぎん、と、ぎん…!」
「…!」
銀時が荒い息を呑み、桂の口をがばりと塞いだ。急激に乏しくなった酸素に桂は
咄嗟に抵抗したが、板の向こうから近づいてくる陽気な鼻歌に総てを悟った。
銀時の肉棒が体内に入り込んだ状態で、一緒に腰を屈め身を隠す。個室の戸は必
要最低限の開き戸、つまり屈んだときの高さに合わせて取り付けてあるものなの
で、立っていれば顔が見えてしまう。
隣の個室に入ったその男は、恐らく宴の参加者であろう。酔っ払いらしく、わけ
のわからん歌をごにょごにょと口ずさんでいる。郷里の歌のようだった。
二人は男の様子を息を殺して伺っていた。
小便ならこんな所にわざわざ来ずとも、庭で済ませばよい話である。予想通り、
鼻歌に混じってびちゃりと何か個体が穴に落下する音と、きつい腐臭が銀時と桂
の鼻腔に入り込んだ。咽せそうになるのを銀時は桂の首もとに顔を埋めることで
回避した。
男が隣で、薄い板一枚隔てただけのところで用を足している、少しでも物音やさ
っきのような変な声を立ててしまえば忽ちばれてしまうこの状況でも、桂と銀時
の情欲は抑えられるどころか寧ろ膨れあがっていった。擦れ合っている箇所が動
いてもいないのにとても熱い。銀時は未だ桂の何とも言えない佳い香りのする白
い首筋に鼻を埋めていて、そのぞわぞわする銀時の鼻梁の産毛の感触に桂はえも
いわれぬ官能を感じた。
永遠ともつかぬ短い時間が過ぎて、男は同じ節をもう一度頭から歌いながら厠を
後にした。やっと銀時が手を放したが、桂が肺いっぱいに酸素を取り込むその前
に、体勢も変えぬ儘再び律動を開始した。膠着を強いられた分、白い鬼は無遠慮
に、理性などかなぐり捨てた様子で無我夢中に腰を打ち付ける。桂もまた、それ
に応える。
「いひゃっ、ン、んん、うぁんっ…あぁぁあ!」
「う、…出る」
桂が吐精して、銀時も促されてほぼ同時に達した。息切れ。糞尿の臭いに混じっ
て、青臭い精液の臭いが充満し、たまらず二人は滅多にしない口づけを交わした。





「先、風呂どうぞ。俺戻っとくわ」
あんなにも長く感じた行為を終えて厠の外へ出ても、空は未だに夜に覆い尽くさ
れていた。今宵は星さえ見えない。この夜は本当にちゃんと終わるのだろうか、
と桂はまたそんなことを想った。
「…そんな臭いを染みこませて戻るというのか」
「…お前が風呂出たら、ちゃんと入るよ」
銀時はおやすみ、と瞳を合わさずに云ってから、何処かへ歩いていった。流石に
寝間には戻らないだろう。宴会をしている幹部たちの眼を避けつつ、火照りを冷
ますつもりだろうか。それとも屋根の上で星々のない陰鬱な夜空を見上げるのだ
ろうか。彼の行動パターンは全く予想がつかない。何を考えているのか、躯を繋
げ続けたってわかりはしない。恐らく死ぬまで一度も。
だから銀時が自分を抱く本心も死ぬまで判らないだろうと、桂は溜息を吐いて浴
場へ向かった。
その道のりに誰かが囁く。
昔の自分なのか凝り固まった道徳観念に縛られた自分なのかそれとも本当に別の
誰かなのかは知らない。それでも裡からそっと誰かが桂に告げる。一番聞きたく
ないその言葉。
こんなこと間違っている、と。




お盛んなふたり