俺は生まれる性別を間違えただろうか。
あるいは、隣で緑茶を啜っている腐れ縁の幼馴染みが。
それは否だろう。
世界の隅をぼんやりと包み込んでくるような午後の陽光ですら、老いた虹彩にはもう眩しい。
俺は元来白髪だったからこんな年寄りになっても目立つのは顔の皺ぐらいだが、桂の髪に白髪が増えるごとにあ、また増えたと思って仕舞わざるをえない。
黒という色はその実、最も美しい色で、黒が美しく映ればそれだけ他の色も美しく映ると聞いた。気高い此奴にはぴったりの色だった。
一本、二本と白髪が増えると、ゆっくりと人生が終幕に向かっているのを感じてふと切なくなる。
タイムリミットという言葉が脳裏を過ぎる。
若かった頃には感じなかったすぐそこにある終焉は鮮やかな色だ。
「今日幾松ちゃんは?」
「老人会の集まりだ。がぁるずとぉくというやつだろう」
「ガールズトークなんて死語だっつの。大体この年になりゃ男も女も健康の話しかしねぇだろ。うちのも最近足腰弱くなっちまって困るぜ」
俺は小さいチョコをひとつだけ摘んだ。
いつのまにかパフェなんて量が多くて食べられなくなった。
その代わり、27と24になる息子の大好物はいちごパフェだ。
桂に子供はいない。しかしおしどり夫婦としてかぶき町でも有名だ。桂曰く、嫁が強い方が仲むつまじく添い遂げられるものだと言う。
「ここから見える景色だけは変わらんな」
桂が目尻の皺をきゅうっと寄せてそんなことを言った。
「じじくせーな」
「爺だからな」
何だかんだと言って、俺たちは人生の半分以上をかぶき町で過ごしていた。
かぶき町で再会した頃は、俺たちの人生の半分以上は萩であったり、戦場であったりしたものだが、それらは何だかこの平穏すぎる柔和な日常においては
まるで映画の一場面を切り取ったような記憶として、ひっそりと頭の底に沈んでいる。
だからたまに、桂と離れていた時期があったことを思い出すと、記憶違いだったんじゃないかと物忘れが激しくなった頭を疑ってしまう。
生まれて初めて目を開けたときからそこにいたような男だ。同じように桂が目を開けたときも、俺はそこにいたようなものだ。
ここまで一緒にいると、腐れ縁だとかいう言葉さえも俺たちにはしっくり来ない。
運命共同体、なんてそんな陳腐なものではないだろうし。
俺にとって桂は何なんだろうか。竹馬の友、親友、兄弟、どれも何となく違う。
歳を取ってお互い隠居してからは、ほとんど毎日のように何となくこうして二人安い茶を呑んで、持てあます暇をつぶしあっていた。
そうしているうち俺は大事な嫁さんやガキどもよりもこの爺と過ごす時間が多くなり、考えるようなこともないので自然と桂という存在について考える。
そうしている内、桂のことを考える、それは即ち俺の人生を考えるということなのだと気付いた。
いや、実は若い時分から気付いていた。だけどあえてそいつを無視していた。
認めてしまうと厄介だったから。
桂がいない世界などありえないということに、同時に気付いてしまうことになるのだ。厄介以外の何物でもない。
男である桂を俺の人生の中に囲い込む術なんてない。
桂なしでは俺は成り立たないのだと気付いてしまえばそれまで、若さに任せて無理矢理身体に直接俺という存在を下卑た原始的な方法でもって刻み込んで、
制度のない愛を信じて二人で死ぬまで生きていこうと躍起になっただろう。今だからこそその結果が容易に分かる。
そう、今だからこそ、性欲や情熱が削ぎ落とされた今だからこそ、もういい加減認められることがある。
俺は桂を愛していたのだということ。
その感情は最早感情ではなく、細胞の一部として連綿と身体に染み渡っていて、
細胞は感情とは違って組織を構成するだけのものだから、俺を突き動かしたり、形にしたいと欲望するよう縮んだ脳に命令したりはしない。
死に神とやらが背後に立っている状況で、まだ桂と一緒に時間を、空間を共有できる慶びは、一時の昂ぶりよりも遙かに大きい。
俺は桂の魂の流れを感じ、桂もまた同じようにする。
裏切りも情欲もない。ここには愛しかない。何と理想的なことだろうか。
老いた桂がそこにいるだけでいい。ただ死んでいく身体の組織と、消えていく時間に身を任せているのが心地良いのだ。
そして願わくば、輪廻転生というものがあるのならば、またもう一度、安い茶と暖かな光の真ん中で、桂と、こんな風に過ごせますように。