A COLD DAY IN THE SUN































年の瀬というのは、どことなく街がひっそりと眠っているような感じがする。
みんな家内の用事に追われているんだろう。ご苦労な話じゃねえか。

自慢ではないが、俺は生まれてこの方正しい年末を過ごしたことがない。
大晦日が近付くにつれ部屋の大掃除を始め、注連縄だとかを玄関に飾り年越し蕎麦を食ってから初詣、
といった具合の絵に描いたような年末は、俺にとっては本当に絵空事でしかなく、
実際全員が全員そんなテレビみたいなことしてんのかよと疑っていたら意外にもみんなその絵空事をきっちり実行していて驚いた。

俺の年末はその年によって全然違って、いい締めくくりもできりゃあ悪い締めくくりにもなる。
去年なんか年が明ける前に潰れて記憶がない。その前となるともう覚えてもいない。
といった具合に、俺にとっては正月や年の瀬は何の変哲もない日々である。

それに、新しい年が来るという事象は、今まで何度だって繰り返されてきたことなのだ。何も目出度いことなどない。
たとえ世界がぼろぼろに壊れていたとしても、時間は放っておいても過ぎていくものだ。
そんなの当たり前のこと、自然現象。


ところが今年はそういうわけにもいかなくなった。
何故って?うっかり正月にかこつけて、好きな相手を家に呼んでしまったからだ。
引くかもしれないけどその好きな相手というのはれっきとした男で、しかもドがつく堅物人間である。
俺はバイトで食いつなぐバンド野郎、向こうはごく普通の大学生、それも3つ年下。
容姿は抜群なのに中身は史上最強の電波で、考え方は呆れるほど古い割にけっこう野心家、
男のくせに長い真っ黒な髪をしていて、何に於いてもセンスはほぼ皆無。
宇宙怪獣ステファンとかいうめちゃくちゃマイナーなアニメのキャラに心酔しきっている。
はっきり言ってこんな馬鹿な奴見たことない。

だが俺は、昼前に起きてから今までずっとそわそわしながらその馬鹿の__桂小太郎の到着を待っている。





少し遅れる、という簡潔なメールは俺の起きるずっと前に届いていた。
起きてから20分と経っていない俺はとりあえず煙草を一服し、面白くもないテレビを点けてはいたが、
心此所にあらずといった状態である。

なぜなら俺は今日、桂にはっきりと前回うやむやにしてしまった自分の気持ちを伝えようと決意していたからだ。

気持ち悪いことに、クリスマスにしてもらったことを思い出して一昨日あたりに一度ヌいた。
桂のすべすべの手の感覚は忘れがたく、またその手に導かれた快楽が堪らなくヨくて、
…虚しく自己処理してしまったというわけだ。




約束の時間は13時だった。遅れると言っていたがあとどのくらい掛かるのだろう。
俺は何をするでもなく狭いベランダに出て、二本目の煙草をくゆらせた。

ふと、視界に妙なものが映った。
少し遠くに見える曲がり角から、あり得ないほどの大荷物を抱えてえっちらおっちら歩いてくる人の姿を見つけたのだ。
そいつはどんどん俺のアパートに近付いてくる。
目をこらすと、背負っているリュックから古典的なハタキのような物がはみ出している。
引き摺っているのはキャリーバッグかと思っていたがあれは、…掃除機?

もしかして…捨てた清掃具の怨念が集まって出来たおばけみたいな感じだろうか。

ていうか寧ろそうであってくれ。だって何となく、見覚えがある。


「………」


いやいやまさかな、それはないわいくら馬鹿でも、と思い気を取り直して煙草を吸う。
その間にもそいつは更に近付いてくる。
面を拝めるまでの距離にまでなって、俺は真実を受け入れざるをえなかった。


「……何してんのあいつ…」


悪い予感は的中した。
通行路を掃除機引き摺りながらばかでかいリュックを背負って間抜けに歩いてくるその掃除おばけは、俺の待ち人だった。















「大掃除に決まってるだろう」



その荷物は一体何のつもりだとドアを開けて奴を出迎えた俺が開口一番にそう問いただすと、大まじめな回答が大まじめな顔で返ってきた。
どうせ貴様のことだからまだ何も終わっておらんのだろう、まったく自堕落な大人だ、
と完全にいつものペースで説教を始める桂の頭を俺は思いっきりはたいた。


「いやいやいや!別に大掃除はいいけどさ!その荷物は非常識だろうが!
俺ん家にも掃除機ぐらいあるわボケ!もう正月ボケかコノヤロー!」

「正月ボケじゃない桂だ!何だそうならそうと早く言わんか!」

「お前どこまで俺を馬鹿にしてやがんだ…!」

「折角苦労して持ってきたんだぞ、掃除機が改札に通らなかったから二駅分歩いてきたんだ」

「待て待てそれが遅れた理由か!馬鹿なのお前ほんっと馬鹿なの!」

「馬鹿じゃない桂だあああ!」


こっちの気も知らないでこの大馬鹿野郎、俺が今日をどんな気持ちで迎えたと思ってんだ。

それにしても本当に何も起こらなかったかのような一連のやりとりに、俺は多少先行きが不安になった。
これではとてもそういう雰囲気になりそうもない。

まだ言い足りない俺を無視して桂は大掃除を開始した。
手始めに布団をとっぱらうと、当然その下からがらくたやそうではないものが沢山出てきた。
書きかけの曲のコードとか、音楽雑誌とか無くしたと思っていたピックとか。
あとはエロ本とか、前の女の置き土産とか、桂に見られたくないものたちまで。


「あああもう!いいから俺がやるから!」

「先ずはいるものといらないものを分けろ。不要物は潔く捨てることが掃除の基本だぞ」


桂は持参した白ずきんと割烹着を装着し、てきぱきと掃除を始めた。
割烹着ってお前、とツッコミを入れつつぐっと来たのは言うまでもない。



そんなこんなで、太陽がとっぷり沈むまで俺と桂は一心不乱に大掃除を敢行した。
何だか母親が無理矢理息子の家に押しかけてきたようである。
途中俺の重宝している古いギターまで捨てようとするからマジで帰そうかと思った。



 そんなに広くもない家なので、晩飯時にはすっかり部屋は綺麗に片付いていた。
俺も桂も煤だらけで、とりあえず順番に風呂に入った。
どちらかが入浴している間は、どちらかが蕎麦を茹でたりして夕飯の支度をした。何て31日らしい31日。


「はあ…疲れた」

「普段から掃除をしていないからだ。これを機に掃除の習慣をつけることだな」

テレビでは紅白歌合戦が始まっていた。
そいつを見ながら俺と桂はずるずると蕎麦を啜り、他愛のない話をした。
俺は掃除の疲れと心地よい空間の所為で、今日の目的を忘れかけていた。
これは年内は無理だな、と机にあるステファン型置き時計(勿論桂のお土産)を盗み見ながらそう思った。


「一仕事終えた後の蕎麦は格別だろう?銀時」


見たこともない演歌歌手のパフォーマンスをぼうっと見ていた俺に、桂は優しくほほえみかけた。
その笑顔は、会ったこともない母親を彷彿しさえさせた。
きっと母ちゃんってこんなんなんだろうな、と俺は漠然と思った。

こういう顔、俺以外の奴の前でも簡単に見せてるんだろうな。こいつは優しい人間だから。

正直、独り占めしたいんですけど。

でももう今年も残り1時間弱といったところで、今日俺はまだ何のアクションも起こせていない。
桂には、あの夜のことは完全になかったことにされているようだ。
気のせいかもしれないけど、あのことは言わない約束だろ、というオーラをひしひしと感じる。
確かに冷静に考えれば、このまま水に流した方がよっぽど楽だ。
俺の誓いはあっさりと折れてしまいそうだった。

そうこうしている内に紅白は白組の優勝で幕を閉じ、ゆく年くる年が始まって、結構あっさりと年が明けた。
時計の針がかちりと合わさる。新たな年の始まり始まり。


「お。明けた」

「そうだな」


こたつからもぞもぞと這い出して、何をするかと思えば桂は俺の目の前にきっちりと正座し、
まるでどこぞの番組の司会者のようにフローリングの床に手を付いた。


「新年明けましてお目出度うございます、今年もどうぞよろしくお願いいたします」

「あ、ああこちらこそ…」

突然の仰々しい挨拶に面食らい、間抜けた挨拶を返す俺に桂は何か言いたげだったが、
今度は立ち上がり上着を着て、「さあ、行くぞ」とテレビを切った。


「は?どこ行くの?」

「決まっとるだろう、初詣だ」

「は!?」

「ぼさっとするな!近くに神社があるのは調査済みだ。行くぞ!一年の計は元旦にありだ!」


何かテンション高くねぇかこいつ、とペースに呑み込まれて俺は桂の言う通りダウンを着て、玄関を腕を引かれて飛び出した。






















5年ほど今のアパートで暮らしているが、徒歩10分足らずのところに神社があることを俺は今日初めて知った。
こじんまりとした神社だったが意外にも参拝客はそれなりにいて、皆がらがらと鈴を鳴らし賽銭を入れ、
今年という年がいいものになるように願っていた。


「けっこう混んでるな」


俺と桂は列に並び、寒空の下順番を待った。
ちゃんと甘酒と御神酒も用意されていて、参拝を終えた人々はたき火を囲みながら新年一発目の酒を愉しそうに飲んでいた。


「あ、賽銭忘れた」

「貴様何しに来たんだ」


お前が慌ただしいからだろーが、と言うと桂はふん、と鼻を鳴らして、財布から小銭を取り出した。


「ほら」

「何だよ五円かよ、俺のビッグな夢はこんなもんじゃ叶わねえぞ」

「御縁があるように、五円玉だ」


そう言いつつ桂は百円玉を自分用に取り出した。あと3人ほどで俺たちの番になる。



「…別にいらねぇ。御縁ならもうあったじゃん」



俺は貰った五円玉を握りながら、桂と目を合わせた。
闇の中、桂の片頬だけが焚き火の灯りで橙に照らされている。
桂は少しきょとんとしたような顔をしてから、「そうだったのか、それはお節介をしたな」などと言いやがった。

認めたくないが、傷ついた。


(うわー…何今の。フツーにへコむわ…)


俺は祈ることも忘れて、神殿に手を合わせながらぐんぐん落ち込んでいった。

だって何?それはお節介をした、って。普通に考えろよ、明らかにお前のことだろうが。
クリスマスから今日まで1週間も経ってねぇのに、他の奴と何かあったと思うのか?結構勇気出して言ったのに。

そんな俺の心情など全く悟っていない様子で、桂は境内を降りてから

「お前たちのバンドが大成功するように祈っておいたぞ」

と満面の笑みでそう告げてくるもんだから、俺は非常に反応に困った。
屈託のない笑顔で、純粋に俺の成功を祈ってくれる桂。でも俺とお前のことは?
願掛けするの忘れてたけど、俺は今神様に何かひとつ願いを叶えてやると言われたら絶対桂とうまくいきますようにって願う。

やっぱり此奴にとって俺は、一度妙な過ちを犯したに過ぎない年上の親友なのか?

決定打を押されたようで、俺は御神酒を貰うのも忘れてしまった。















帰り道、俺は上の空で桂の隣を歩いていた。
空は俺の気持ちとは裏腹に綺麗に澄み渡っていて、東京の空に珍しく星が閃いていた。


「寒い、な」


桂は上着は厚手だったが、手袋やマフラーをつけておらず、身を竦めて歩いていた。
たまに、自分の吐く息で両手を暖めていた。鼻や耳たぶが少し赤いのがぼんやりとだが分かる。
色白だから、肌が染まると似合う。

桂は口数の少なくなった俺を少し気に掛けている素振りだった。その証拠に、よく喋った。


「実家に居たときは毎年、まずお寺で除夜の鐘を突いてから近くの神社に歩いて初詣に行ったんだ。
もう亡くなったけど、婆ちゃんと飼ってた犬と。犬の名前はタローっていったんだ。俺がつけたんだ」


自分が小太郎のくせに犬にタローって名付けんのか、と俺はマフラーに顔を埋めながら思ったが、適当なあいづちだけを打った。


「だから何だか、正月にじっとしているのが落ち着かなくてな。でも銀時と来れてすごくよかった。ありがとう」


ほら、また。そういう可愛いこと言うでしょ?こっちの気も知らずに。
自分では何の気なしに無邪気に言ったりやったりしてることが、俺をどんだけ苦しめてるか真横にいる此奴は知らない。
それが妙に腹立たしかった。だから、俺も、とは言わずにうん、とだけくぐもった声で返した。
態度に出すなんて最低だとは思うけど、俺の心は意外にも繊細だったらしい。そして子供だ。


「婆ちゃんが去年亡くなって、タローも死んじゃって、寂しかったけど銀時によくしてもらえたから、去年は本当にいい年だった」


そう言う桂の声は本当に寂しそうだった。
実家に帰らないのも、犬もばあちゃんもいないからだろうか。
あまり探ったことはなかったが、此奴から家族の話を聞いたことは一度もなく、もしかしたらうまくいっていないのかもしれない。
犬を飼ってたことも今知ったぐらいだ。


「お前…家、帰んなくてよかったの?」

「ああ、別に兄貴が帰ってるし。兄貴は可愛がられてるから、俺が帰ろうがあまり関係ないと思う」

「でも、息子の顔見てぇだろ?そういうもんじゃねえの?」

「そうでもないさ。両親が揃ってるだけ恵まれてるとは思うが」


ああ、そうか。俺がみなしごだって知ったから、親との確執のこととか、俺に気ぃ遣って話さないようにしてんだな、此奴。
優しい奴だから。
いっつも手前以外の奴のことばっか考えて、自分を殺してる。
俺に対してだけはそうでもないと思ってたけどさ。
そういうのも、家庭環境が生んだ性質なのかもしれない。
親のいない奴に親の愚痴を言うってのは確かに非常識かもしれねぇけど、俺は何でも知りたい。
桂のことなら何だって知りたい。

どんな思いをしてきた?どんな風に育った?その婆ちゃんと何処へ行った何をした?犬はどんな犬だった?

ああ、くそ。やっぱ好きだ。

いやもう、好きってこんな重い感情だったのか?
今まで感じた恋ってのは、嘘だったんじゃないだろうか。
こんなにも相手のことを知りたいなんて、こんなにも踏み込みたいなんて、初めてだ。
だってそういうのは、絶対女にされたくなかったから俺もしなかった。したいとも微塵も思わなかった。
でも今は違う。桂の全部を知りたいし、俺の全部を桂に知って欲しい。

こんなんで友達になんて戻れるわけがない。このままあの夜のことをないがしろになんて出来るわけがない。

俺は歩調を少し緩めた。必然桂が少し前を歩くことになる。
少し長い袖から出ている桂の冷たい手を、俺は握った。
桂はぴくりと肩を竦ませ、立ち止まって振り向いた。
その振り向いた顔を、見つめた。桂は驚いたような顔をしていた。
顔を近づけた。避けられるかと思ったが、桂はそうせず、そのまま俺は、キスをした。

 
俺たちは手を握ったまま、長い間キスをした。離したときの白い息が暗がりに目立った。


「ぎん…」

「ふざけてないから。こないだも今も、全部本気だから。俺、本気で好きだから」


言い切った。顔を見られたくなかったから、身長は殆ど変わらないのに俺の半分くらいの身体を抱き締めた。
寒風を孕んだ髪の冷たい匂いがした。

「…でも、そんな、俺たちは、」

「でも、とかじゃねえよ。お前はどう思ってんのよ」

「いや、そりゃ、俺の方が好きだけど…」

「はぁ?何それ、絶対俺の方が好きだね。だってこんなん、お前知らねえだろ俺がどんな気持ちだったか」

ちょっと待て、冷静に考えるととんだ馬鹿どもの会話だ。
ていうか今、桂も俺のこと好きだって言ったよね?あー嘘。やばい。泣きそう。嬉しくて泣きそう。
俺は鼻水を意味なく何度も啜った。


「…好きです。つきあってください」

「ああ…でも、」

「でもじゃねえ、もういいから黙って」




賽銭の五円玉がやっぱり効いたのだろうか。
俺と桂はこうして、正月という世間が最も目出度い時期に、結ばれることができたのだった。神も仏も捨てたもんじゃない。
腕の中の桂の感触を刻み込む。
まあ、この先困難ばっかりだろうけどそれもまたそれで。




とりあえず、死ぬほどハッピーニューイヤー、俺。
















最後まで設定を生かせなかったですね。切腹してきます。そんな感じで気が済んだので終了します
それにしても甘いな!ツメが