縁側で隣に腰掛ける、あまり変わらない(いや少し痩せたか?)昔の仲間の左手の猪口に気前よく手酌をする。 辛口の日本酒は昔仲間と大勢で、たまにふたりでよく呑んだ。
とくとくと注がれる紡ぎ糸のような酒を見ていると、不意に妙な郷愁が鼻をついて銀時は柄にもなく心臓の鼓動を一瞬、早めた。

「ああ、すまない」

そう言う桂の頬は仄かに赤みを増していて、不気味なほどに白い肌だからその色はよく映えた。
銀時は自分の猪口にも同じように酒を注ぎながら、果たして桂が酒に強かったか弱かったか、はたまたそのどちらでもなかったか
どうだったか記憶を手繰ってみたが直ぐに諦めた。
かつては互いの髪の数さえ知れそうなほどに近い存在だったが、時間というものは可笑しいほどあっさりと人と人との関係を淡いものに変えてしまう。
今俺は此奴のことを何も知らない、と思いながら口にする酒はこの上なく不味かった。


「妙だな」

「え?」

「またお前と酒を飲んでいるなんて」


しかもその銘柄だ。口元を少しだけ綻ばせてそう言うと、まっすぐに遠いところをぼんやり見つめた。


「狭いね」
「何がだ」
「世間が」


確かにな、と消え入るような声で桂は言って今度はちゃんと微笑んだ。
膝の上に居心地悪そうに置かれた猪口に再び追加の酒を入れる。酒瓶を置く音が響くのももう何度目か知れない。
奇妙な再会を果たしたあと何度か行動を共にしたことはあったが、じっくり腰を据えて話すのは初めてで、
ふたりでいると普段目立たない桂の男目にもきれいな顔や華奢な身体が異様に目についた。


「気前がいいな。どうした」


注がれた酒を見下ろしながら桂が問うた。その言葉に少し、揺れる。
忘れているのかしれない。別にそういうつもりだったわけでなく、久しぶりに酒でも呑もうということになって、
お互い都合がいい日がたまたま今日だったというだけだ。(そして提案したのも桂の方からだった)
桂という男に昔自分が刻みつけた傷跡や所有印はもうない。それを淋しいとは思わないし(自分が捨てたのだ)、もう一度、とも思わない。
旧知の呑み仲間になれるなら、それが、過去を捨てた銀時と過去の延長を生きる桂ふたりにとっての、最良のことなのだ。
だが自分たちの変化で全てが変化するわけではなく、20数年前の今日に桂小太郎という優男が生を受けたという事実は昔も今も変わり様のないことだった。
あの日と同じ酒でこっそりと桂を祝ってやる、そのことで相容れることを許されない過去と現在をひとときだけでも共有できる気が、少しだけしていた。


「別に?」
「昔は俺が酒に弱いからと決めつけてちっとも寄越さずラッパ呑みしていたというのに」
「...そーだっけ?」


あまり呂律は回っていないものの、桂の口から思い出話が出ることはどこか新鮮なものであった。
まるで自分たちの間には、そういう綺麗なものしかなかったように錯覚。実際そうならいいんだろうか、そう思って灼けるように熱い酒を飲み下した。


「俺は、酒によわくなどないのに」
「いやいや実際弱いでしょ。俺まだ素面に近いよ?おま、既にぐでんぐでんじゃねえかよ」
「ぐでんぐでんじゃない桂だ」


虚勢を張っても桂は少し苦しそうな表情を浮かべていた。そんなに弱かったのか、と意外な気持ちでその火照った横顔を見つめると、
彼が絶頂のとき見せた表情の映像が脳裏を過ぎった。


「飛ばしすぎたか。休む?」
「...へいきだ...」


頭を押さえているあたり、頭痛があるのだろう。銀時はひとつ息を吐いて、桂の折れそうな手をとってゆっくりと立ち上がらせた。


「もーいーから寝ろ。起きるまで月見酒でもしとくからよ」


呻く桂を半ば引きずるようにして歩かせ、一番近くの襖を足で開ける。整然とした和室が広がっており、こいつらしーね、などと思うと微笑が零れた。





布団を敷いてやっている間にも、桂の酔いは回り頭痛は激しさを増しているようだ。隅のほうで障子にもたれかかりうずくまっている。


「オラ、敷けたぞ。来い」
「...うぅ...」


情けねぇ声出すなよ、テロリストだろーがてめぇは、などと言いながら細い身体を支えつつゆっくり立たせてやり、抱きかかえるようにして布団まで運んだ。
腕を回した腰がやけに細い。この感覚を知っていると思った。


「寝ろ、ヅラ」
「...いやだ」
「はぁ!?」


あり得ない返答に笑えないでいると、桂はふらふらと銀時の顔を見上げて、腕にしがみつく力を込めた。


「ぎんとき」
「お前は、どこにいたんだ」


焦点の定まらない瞳は揺れている。酒の所為だと思いこみたかった。


「どうして勝手に行ったんだ」
「どうして何も言わなかった」
「お前は、」


いったい何を考えている。
桂のアルコールの廻った顔からはむなしさとか哀しみとか孤独とかは何も汲み取れないけれど。
ああ是か、この痛みが俺への罰か、銀時はそう思った。


「...ごめん」
「許さない」
「マジでか」
「マジでだ」


しなだれる身体の火照りとやけに小刻みな鼓動が、桂の存在を銀時に融かしていく。戦争の日が思われた。


「ヅラぁ」
「....ヅラじゃない...」
「俺のこと、恨んでる?」


拍を置いて、ふ、という吐息の掠れる音がする。そして、ああ、とどこか間の抜けた肯定の声がした。


「おまえは、俺が、どれだけ辛かったかしらないんだろう」


これからも知ることなんてないんだろう。ふへへ、と科白に全く似つかわしくない馬鹿みたいな笑い。
そうだ此奴はもともと、ひどく馬鹿だった。俺の全てを受け入れるぐらいに。


「おまえは俺が、お前を」


そう言って桂は言葉を詰まらせた。続きを口にすれば、腕の中でこのまま萎れてしまうんじゃないかと思った。


「どれだけあいしてたか」


しらんだろう、そう云うとずるりとへたりこんでしまった。


「ヅラ」


銀時もまたしゃがみこんで、項垂れた桂を覗き込む。触れた頬は燃えてしまいそうで、銀時は破壊にも似た衝動を感じた。


ああそうか。そうだよな。

少し笑った。何だかこそばゆいような感じがして、埋まらなかった欠陥が急に消えたような心地さえした。
そうだな、と桂の髪を撫でながら思う。
もしもこのまま朽ちてしまっても、と戦時に桂を抱いたときの思考をそのまま反芻して、
これからの還元ともつく自分たちの変化に甘んじようと、銀時は桂の唇を塞いだ。


(早く朝になればいいのに)

明日の朝には、祝いの言葉のひとつでもかけてやれるだろう。




去年の桂誕に書いたもの。
桂誕に銀桂も復活したという、世にもおめでたい話。