「お前のことだからどうせ何も用意してくんないだろうし、先に言っとく。
来週の14日に必ずチョコを用意しろ。手作りチョコを用意しろ。作り方は以下の通り。よろしく」



そんなメールが届いたのは、7日の夜のことだった。
いつもは素っ気ないメールなのに珍しく長文だと思いきや、その内容の殆どはチョコレートの作り方だった。
ちなみに件名は「原産地に取りには行かなくてもいいよ」だった。


YZYのインディーズデビューが近付き、俺たちはここ数日まともに会えていない状況だった。
その割には銀時のたまに返ってくるメールも素っ気なく(会いたいの一言だけとか)、電話にもあまり出ない(たぶん疲れてるんだろう)。
こんな状況は初めてで、俺はちょっとだけ寂しかった。
俺だってバレンタインの存在ぐらい知っている。存在は知っているけど、今まではおばあちゃんにチョコを貰っていたぐらいで、あまりにも縁遠いイベントだった。
というかやはり、ここは俺がチョコをあげるべきなのだろうか。甘味好きなのは銀時の方だし、たぶんそうなるのだろう。
でも何となく、俺ばっかりチョコをあげるのは不公平な気もする。
だけどそんなことは言えずに、13日の夜に俺は大人しくスーパーに行って板チョコとホイップクリームを買ってきた。
銀時のメールとにらめっこしながら一晩かけて注文通りの品を完成させた。初めてにしてはかなりいい出来だと思う。




デビュー前日の14日の夜に、CDデビューの宣伝も兼ねてライブが行われる。
数日前に送られてきたそのチケットとチョコを手に、俺はいつものライブハウスに行った。
相変わらず人は多かったが、今夜はカップルの姿が特に目についた。人目も憚らずイチャイチャしている。
恥知らずだ、バレンタインなぞ西洋の風習ではないか、と思ったが、俺が持っている紙袋の中に入っているのは紛れもなく手作りのチョコレートだった。



例によって俺は最前列に立った。
周りはYZYの明日のデビューの話題でいつもの倍興奮した様子だった。
金髪の若い女の子二人は、出待ちして銀時にチョコを渡す計画を練っていた。
よく見ると周りにも華やかな紙袋を持った似たような女の子がたくさんいる。

俺はどこか置いてきぼりになったような感覚を覚えた。
銀時がデビューすることを、手放しで喜んでいたけど、もしかしたら銀時はすごく遠い存在になってしまうのかもしれない。
今だって、こんなに沢山銀時にチョコを受け取ってもらいたいと思っている女の子がいる。
もしかしなくても、目のくりっとした色白の可愛い女の子と付き合った方が、銀時は愉しいかもしれない。
俺はどう足掻いたって男だ。可愛いことも言えないし、結婚もできないし、子供もできない。銀時を満足させてあげられない。
現状がずっと続くことなんてないのかもしれない。
すぐ未来に終わりが見える。銀時の近くにいられなくなる。
それが、すごく怖い。

俺は茶色い無印良品と書いてある紙袋の紐を千切れんばかりに握り込んだ。



カッとライトが閃き、銀時が幻影のようにセットに浮かび上がるまでは早かった。
やっぱり、唄っているときの銀時は何処か遠い。きっとあの瞬間には、俺は彼にとっては他人なのだ。
その時銀時と一緒に在るのは、音楽。ただそれだけ。ミュージシャンとしてはそれが最も望ましいことであろう。
今まではそれでいいと思っていたが、今この瞬間にはそれがすごく寂しいことのように感じた。
デビュー曲の、轟音みたいなドラムとベースの波の上に、「ギン」の掠れた寂しげな、しかしどこか憎悪に満ちた声が乗る。
例のチョコを持った女の子たちが歓声を上げ、そのリズムに乗り始める。
俺はその曲の間も次の曲の間もずっと、紙袋を握りしめたまま棒立ちになって目の前のロックバンドを眺めていた。
まるで初めて見るバンドのライブのように。


「えーっと。今日はバレンタインってことで」


ライブも終盤というところで、この日初めて銀時がMCをした。
喋ると馬鹿がバレるからと、事務所の社長である寺田さんにMCは控えるよう言われているらしい。


「ラストはバレンタインらしく締めまーす。昨日作ったばっかのやつで曲名は」


殆ど曲の紹介しかしないまま、銀時はギターを抱え直した。
ドラムの怪力少女が、おもちゃに飽きたようにぽーんとバチを放り投げる。
ベースの眼鏡くんも、腕を休めている。どうやら銀時一人で演奏するようだ。


「…K」


聞き取れないほど小さい声で、銀時はその一文字だけを囁いた。
そして、薄く開いた唇から聞いたこともないような歌声が紡がれる。
眠くなるような声で、子守歌みたいな静かな曲を歌う。歌っている本人も眠そうだった。

ああ、この歌いいな。一番好きかも。

俺は心地よい気分で、銀時の歌を聴いた。
先刻感じた寂しさや、銀時が遠いという感じは全部消えて、代わりに二人でいるときのような穏やかで、懐かしい気分になった。
きっと此所にいる全員も感じていることなんだろうが、自分が誰よりも銀時に近くにいる、という風にも思えた。
真っ直ぐ俺の瞳を見て歌っているような、変な錯覚もした。
歌詞は英語で、何を言っているのかはあまりよくわからなかったが、俺は何となく泣きそうになった。
そこにはちゃんといつもの銀時がいた。
怖いと感じるいつもの歌い手はなりを潜め、いつもの、部屋でごろごろと際限なしにくつろいでいるときの、
甘味を食べているときの銀時がちゃんとそこで歌っていた。
いつもと違って、音楽以外の何かが、銀時と一緒に在る。一緒に音を奏でている。とにかく、すごく、よかった。

あとでしっかり伝えよう。あの曲が一番好きだって。
それから、絶対銀時はすごい歌手になるって。


















「…で」

ライブも無事に終わり、いつものようにライブハウスの裏口で、俺が約束のチョコを渡すと銀時は人なつっこい笑顔を浮かべて包みを開封し、
それから「で」という接続詞を口にした。


「今のは何に接続してるんだ」

「お前はどんな電波と接続してこいつを作ったんですか」


銀時は俺が丹精こめて作り上げたステファン型手作りチョコを眺めながらそんな意味不明なことを言った。


「俺がどうやって電波と接続できるんだ?そんな端末持ち合わせてはおらんぞ」

「だああああ!!お前なぁ、俺があんだけ細部まで指定したにも関わらず!ハートの型は!?ハートの型を買えと言っただろうがあああ!!
何でこれ!?何でペンギンお化け!?」

「だってハートはありきたりすぎるだろう!絶対こっちの方が可愛いし、オリジナリティもある!」

「そんなもん求めてねぇええぇ!!ほっといたら絶対こういうの作ってくるだろうと思ったから1日かけてレシピ作成したのに!!
…なに?なんで?お前さぁ…もしかして俺のこと大して好きじゃないの?だからこういうので俺を遠ざけようとしてんの?」


銀時はがっくりと肩を落としてそんなことを言い放った。
久々に会えたというのに、何だその言いぐさは。俺はだんだん腹が立ってきた。


「ふざけるな!!それはこっちの台詞だ!!久々に会えたというのに貴様は!
大体最近の貴様の態度こそ俺を遠ざけようとしているようにしか思えん!!」

「っはぁあぁ!?何だよそれ!!どこだ!?どのへんだ!?」

「メールは一言だけで終わらせるし!電話も出ないし!」

「会いたいって送ったメール無視されて俺がどんだけへコんだかわかんねぇだろ!!電話ってお前公衆電話からかけたって誰が出るか!!
しかも二回に一回は非通知だし!!悪戯電話か!」

「…あり?」


銀時の話を聞いている内に、何となく辻褄が合ってきた。
そうか、そういえばこの前テレビで携帯からは脳をおかしくする電波が発信されているから使わない方が健康にいいと聞いてから携帯を使わなくなったんだった。
公衆電話からじゃ俺の名前は表示されないのか。なるほど。


「なるほどじゃねぇよまったく…」


銀時は憔悴しきった様子で深く頭をしなだれさせた。何だか悪い気がしてきて、すまない、と謝った。


「…まーいいけど。チョコは作ってきてくれたわけだし」


そう言ってステファンの頭をがりっと丸かじりした。
俺はステファンが頭を食べられる痛みを自分の痛みのように感じて、ぎゅっと眉を顰めながら其れを見ていた。


「…味はうまい」

「当たり前だ」

「レシピのおかげですぐらい言えよ」


暫く銀時は無心にチョコを蹂躙し続けた。
ライブハウスの裏口には、ライブから時間が経った所為かファンらしき姿もなく、静かだった。
俺たちは寒空の下、殆ど地べたに座り込んで黙っていた。


「そういえば、最後の曲。あれ、すごくよかったな」


そう言うと、銀時はぶへっと変な音を出して噎せた。ごほごほと何度も咳き込む。


「大丈夫か?」

「…あーうん…随分柄にもねぇことしちまったわ、バレンタインの魔力だな…」

「いや、俺はああいう子守歌みたいな歌も好きだぞ」

「子守歌じゃねーよ、ありゃ立派なラブバラードだ」


未だ噎せながら、苦し紛れに銀時は言った。そうか、あれは恋の歌だったのか。英語で何言ってるかちんぷんかんぷんだった。


「どういう意味の歌詞なんだ」

「…そういうのは自分で調べなさい」


何でだ、書いた本人が目の前にいるのに直接聞き込む以外どうやって調べればいいんだ、と俺が至極もっともな正論を言うと、
銀時はああーもーと叫んで徐に俺に接吻をした。
自分の作ったチョコのものすごく甘い味がして、砂糖入れすぎた、と思った。


「…気付けよバーカ」

「バーカじゃない桂だ」


銀時は黙って俺を見つめた。赤い瞳に全部呑み込まれそうになる。ぴたっと時間が止まる気がする。
体温が仄かに温かくて、気持ちいい。
久しぶりに会うからだろうか。もっと触れていたい、と切に思った。

その思いを汲み取ったかのように、銀時はもう一度俺のくちびるに、さっきまであらゆる歌を紡いでいた自分のくちびるを重ねた。
そこから、俺自身まで音楽に化かされていくような感じがした。



















次の日に例の曲の英語詞を貰って訳してみたが、本当にラブソングなのかというような小難しい意味の歌詞だった。
とりあえず、ヒロインは黒くて長い髪をしているらしいことだけはわかった。
それを銀時に電話で伝えると、お前そこまでわかってまだわかんないの、馬鹿なのお前、と理不尽な叱責を受けた。





本当はわかっているけど、恥ずかしいから、言いたくない。




















なんっじゃこれええええ!!!
書いてて何回も吹きました。かゆっ心臓あたりがかゆい
ちなみに原産地のくだりはイチ蜜さんとこへのオマージュ
何はともあれ、素敵絵をくれたあくらさんに捧げます。