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桂が学校に現れたのは、最後に桂と話した5日後のことだった。
たった5日のことだというのに、まるで何ヶ月も桂が登校していないように土方は感じていた。
兎に角、実直な彼は桂の安否が心配で堪らなかった。あの後何をされた?登校できないほどに酷いことをされたのか?
考えれば考えるほどに恐ろしく、野球部の練習にも全く身が入らなかった。顧問に何か悩みでもあるのかと心配されたほどだ。

土方は桂の連絡先を知らなかった。
だがそれは単なる言い訳で、クラスの連絡網や誰か他の人間に尋ねれば済むことであったはずだ。

怖かったのだ。
また拒絶されて、それを振り払えずにやすやすと銀八に桂を手渡してしまう不甲斐ない自分の姿を、見たくなかった。
ならば直接銀八に面と向かって訊ねる方がいい。何を考えているか解せない桂よりも、明確な悪である銀八の方がかえって攻略しやすいように思えた。
わかっている、それは自分の弱さからの逃げであるということ。しかし若い彼にそれを受容する強さは、まだなかった。

「桂、どうしてんだ」

昨日、放課後に国語準備室に無遠慮に押しかけた土方はぶっきらぼうにそれだけを聞いた。


「どうしてるって?」

「今更しらばっくれんじゃねえよ。手前が知らないわけがねぇんだ」


煙草を片手に何やら書類を作成していた様子の銀八は、ノートパソコンの画面から目も離さずに土方をあしらおうとする。
あくまでしらを切るつもりなのだろうか。


「…なぁ、土方くん。何を想像してんのかは知らねぇけど」


甘ったるそうなコーヒー缶の中に殆ど灰に浸食された煙草を投げ入れると、銀八はやっと土方の顔を見た。
その表情は、いつか見た凍り付くように冷たいものだった。


「例えばその妄想が全部本当だったとするじゃない?」


まるで幼稚園児を諭すような物言いで、銀八の目線は土方を刺す。
たじろぎそうになるのを土方は必死で制止した。


「そうだったとして、土方くんに何ができんの?」


勝ち誇ったように銀八は言う。例の氷のような赤い瞳で、見下しながら。
土方は正に自分が思い悩んでいたそのものずばりを言い当てられ、胸を内側から抉り出されるような感覚に陥った。

そうだ、手前の言う通りだよ。現に俺は何もできていない。寧ろ、事態はどんどん悪化してやがる。

悔しさに、こめかみのあたりがきんと張り詰めた。自然と握る拳が固くなる。


「…ま、いいや。このままだとお互いすっきりしないしね」


銀八はぐっと背中を反らし、いつもの怠そうなトーンでそう言った。


「明日、全部説明してあげる。放課後、一階の資料倉庫においで」
























そう言われた次の日に、桂がひょっこり登校してきた。恐らく銀八の根回しだろう。
神楽が、久しぶりに姿を見せた桂に駆け寄りヅラあああ何してたアルかあぁ!などと騒ぎ立てる。
それを妹に接するような仕草で、実はちょっと家族旅行に行っていたんだ、心配かけてすまなかった、
と神楽の頭を撫でながら桂は柔和に笑みながら言った。
嘘つけ、と思いながらも、土方は桂に真相を訊くことは愚か、近寄って挨拶すらできなかった。
だが全ては、今日の放課後にわかることである。__と言って、銀八の言うことは恐らく言い訳か虚言でしかないだろうが。

ともかく、土方は時を待った。
そして一日のいやに長く退屈な授業が全て終わり、彼は部活は野暮用で休むと部員に告げて、指定された資料倉庫へと向かった。




一階の廊下の奥にあるという資料倉庫は、厳密には単なる掃除さえ何年もされていない汚い物置だった。
誰かが使用していることなど滅多になく、何の資料が置かれているのかさえわからない。
恐らくこの機会がなければ、土方自身入ることもなかっただろう。


 鍵は開いていた。
一歩部屋に入ると、黴の冷たい匂いが充満していて一気に土方を襲った。中は暗く、大きな棚が図書館のようにいくつも並んでいる。
土方が銀八の姿を探す前に、奥の方でぼそぼそと誰かの会話が聞こえた。
耳を凝らしてみると、意外なことにも、桂の声らしかった。

ふ、と声が止んだ。
何故か堂々と出て行く気になれなかった土方は、棚と棚の隙間から声のしていた方を覗いた。

そこで彼が見たものは、銀八の白い背中と、その首に巻き付いて恍惚とした表情を浮かべながら、存分に唇を貪られている桂の媚態だった。


「____」


声を失った。何だ。何を、している?


 銀八がそっと桂の身体を離す。
そして、「駄目だよ、桂」と桂の髪を撫でながら優しく諭した。


「やだ…先生、もっと」

「だーめ。ここ学校だし。もうすぐ土方君来るんだよ?だから今は駄目」

「…だって、最近…全然、先生と二人きりになれなかったし…俺、さみしくて…もう、限界です」

「…しょーがないでしょそれは。今日頑張ればまた前みたいに会えるようになるでしょ?」

「…いや、です」


桂は切なげな顔で銀八を見上げ、そして一瞬何かを決意したような表情を浮かべた。
桂が腰を屈め、銀八のベルトをこじ開ける。がちゃがちゃと騒がしい音がする。


「おい、桂っ」


困惑した様子の銀八を無視し、桂は教師の股に顔を埋めた。
暗い部屋に桂の甘い声と、卑猥な水音がぴちゃぴちゃと響き渡る。
哀しいぐらいに、桂の顔はよく見える。
ひどく慣れた様子で、自分と同じ男の性器を慰めているその様子は、不気味だった。
時に銀八の様子を上目で窺い、満足気にまた口を窄める。
見るからにおぞましいその行為を、桂は幸福そうに積極的に行っている。
初めはやめるよう宥めていた銀八も、次第にされるがままになって、諦めたように桂の髪を撫でている。

土方は、どうしてだか逃げられなかった。目も離せない。
本当に恐ろしいものからは、目も離すことができないのだろうか。
見たくないのに、両眼は彼に見ろ、と命令する。

見て、思い知れ。これが現実だ。これがお前の弱さだ、これが護ろうとしていたものの汚さだ。
そんな言葉がどこからか、聞こえた。


「せんせぇ…ほしい」


口を離した桂が泣きそうな声で囁く。
白衣の陰から赤黒くぬめる担任教師の性器と、そこから透明でねばっこい液を紡ぐ桂の深紅の唇が見える。
耐えかねたように銀八は桂の身体を抱き上げて、余裕のない激しいキスをする。
銀八の頭より少し上に桂の、眉を切なげに顰めて舌を貪る顔が見える。
洩れるのは唾液と、桂の息継ぎの音。
そして、女のような、声。
銀八が器用に桂のベルトを取りさらい、太股を割り開く。
桂が銀八にしがみつきながら一際、寂しがる犬のような声を上げる。

「せ、んせ…っぁ、あんっ…!はぁっ、あっあぁっ、すき、せんせぇっ…!」

土方の脳が途端に遅い警鐘を鳴らした。
これ以上此所にいてはいけない、とただそれだけ悟った。

俺が、おかしくされる。

力の入りにくい足を動かし急いで廊下に出て、冷や汗が止まらないのを感じながら、一目散に走った。
ただ、走った。

























「土方」

呼ばれた声に、土方は振り向くのを躊躇った。
しかし殆ど反射的に、声のした方向に首を回した。案の定そこには、桂がいた。
朝の騒がしい教室。怠い授業が開始するまでの少しの余暇を、皆それぞれに楽しんでいる。
その合間を縫うようにして、暗く重い影を背負った土方と、凛と立つ桂。
桂は土方を廊下に連れ出す。流行廃りの激しいZ組では、もう誰も土方と桂をカップル扱いするものはいない。
土方は桂の後ろに付いて歩いた。
脳内では、昨日の放課後に見た彼の気味の悪い姿がリフレインを繰り返し、土方に嘔吐を思わせた。

「昨日、あそこにいたんだろ」

人影の少ない階段の踊り場まで来て、桂は振り返ったと同時にそう言った。
土方は少し身体を仰け反らせる。もう桂の顔をまともに見ることはできなかった。
汚らわしいもの、としてしか彼は桂を認識できなかった。


「そういうことだから」

「……」

「もう、俺と先生のことは放っておいてほしい。今まで巻き込んですまなかった」


桂は深々と頭を垂れた。長い髪がシャツに擦れる音がする。それすらも、土方の耳は拒絶しようとした。


「…それと、勝手を承知で、このことは内密に頼む」


若い土方のこころは、もう何も感じなかった。
この男がどうなろうと、もう知ったことか。
裏切られた正義感は土方を絶望に追い込み、その心をも鋼にしてしまった。
ただ、もう関わりたくない。その一心だった。


「言われなくてもそうする。思い出したくもねぇ」


土方は低くそれだけを吐き捨て、踵を返し階段を上っていった。
彼の心には、厭悪と、自分の行為への後悔だけしか残されていなかった。

くだらねぇ。

桂の視線が背中に注がれていくのを感じながら、思うのはそれだけ。
不意に浮上するようにして、ゴミ捨て場で「ありがとう」と言った桂の哀しげな顔を思い出したが、かき消すようにして瞼を閉じる。
思い出さなければならないのは、元の日常。
しかしそれができるかどうか、いまいち自信はなかった。




桂は土方の去っていく背中を目に焼き付けていた。
これでいい、と思う。言われた通りにした。自分は何も間違っていない。
長袖のシャツに隠れた緊縛の痕に目をやりながら、わけもなく泣きたくなった。
彼は自分を救おうとしてくれた。だから俺がお前を救う。唯一の、できること。
頼むから、真っ直ぐに生きて。俺のことなんて忘れて仕舞え。軽蔑しても憎んでもいい、だから、頼むから。

「おい」

銀八の低い声で桂は我に返る。と同時に、体内を圧迫する彼の性器の存在をダイレクトに感じ、息が引き攣る。
国語準備室、組み敷かれ慣れた床。埃が鼻に入る、きんとした感じ。
全てが元通りの世界。誰も自分の課された罰を邪魔立てするものはいない。銀八への絶対の服従を条件に、保証される将来。
見上げた銀八の瞳には、静かで冷たい怒りがあった。
汗ばむ額に貼り付く髪を感じながら、その眼に焦点をゆっくりと合わす。


「お前今、誰のこと考えてた?」


ふたつ瞬きをしてから、先生、と答えると銀八はにやっと口端を上げた。


「嘘吐け」


言ってまた、腰を揺さぶる。
あ、あ、と唇からは喘ぎが洩れる。例によって銀八より先に桂が達する。その少し後に、銀八も桂の中で達する。
銀八がおざなりに身なりを整える間に、桂はゆっくりと起き上がる。
何だか何も、考えられなかった。頭に靄がかかったようだ。



「じゃあな」



銀八が、どうしてか滅多にしない別れの言葉を口にした。
そして部屋を出る。ぺたぺたと健康サンダルの音を響かせて。
その白衣に、土方の姿が重なった。目に焼き付ける、後ろ姿。
またわけもなく、泣きたくなった。





土方篇完結です。長かったでしょう。お疲れ様でした
…あとふたふんばりぐらいお付き合いください。ちょっともう色々出来が駄目すぎるんで死んできます…

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