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「アンケート集計の結果、学園祭の出し物は間を取って演劇になりました」

桂がZ組の面々に淡々とそう伝えると、一斉にブーイングの嵐が巻き起こった。


「ヅラぁああぁ!ワタシの提案したフードファイトファイナルラウンド王者決定戦はどうなったアル!?」

「それは予算の問題でできない。しかも飲食系は人気でもう枠が埋まってるし」

「大体あと一月もないのに演劇って…演目も決まってないのに無理じゃないかしら?」

「ああ、それについてはアドリブでいいから。今から練習とかしてる暇ないし参加率も悪いだろうから、
コンセプトとしてはシンデレラと白雪姫とかぐや姫を程よく取り込んだ感じで」

「おいいい学級委員!!何ですかその丸投げ集計は!!大体間を取ってって何ですか!!どことどこの間を取ったんですか!!」


があがあと怒鳴り立てるクラスメイトたちを、桂は諦念と共に教卓の上から眺めていた。
確かに、Z組は他のクラスに比べて圧倒的に学祭の準備に掛かり始めるのが遅れている。
それと言うのも文化委員である双子の巫女の妹百音が、夏の間の暑さにやられて家から一歩も出なくなり、現在登校拒否状態であるからだ。
そこで急遽学級委員である桂が代打に起用されざるを得なくなった。
急いでアンケート集計し、文化委員会に顔を出し、何をするかも決まっていない状況で当日使用する教室決めやエントリーシート記入などを何とかこなした。
しかしやはりZ組の面々のアンケート結果は全く非現実的なものばかりで(キャバクラとか雀荘とかSMクラブとか)、使える案がほぼ皆無だった。
唯一まともだったものが演劇だったというわけだ。


「因みに、演劇の部で優勝したクラスは打ち上げで焼き肉食べ放題という特典がある」


桂が付け加えると、今まで非難の嵐だった教室内が水を打ったように静かになった。


「…焼き肉」

「食べ放題?」


神楽や沖田はもちろん、それまでつまらなさそうに教室の隅でHRを眺めていた銀八でさえも食いついてきた。
皆の目が急激に輝きを取り戻し始める。桂は少したじろいだ。


「…優勝すっぞ」


銀八が決意のこもった声でぽそりと呟くと、クラス全員がうおおおおお!!と雄叫びを上げた。
Z組に栄光ををををを!!と誰かが叫ぶ。隣のクラスが不審そうに廊下まで様子を見にやってきたほどだ。
たかが焼き肉で単純な、と桂は呆れたが、これでZ組のやる気が引き出せれば結果オーライだ、と少し安堵した。

桂はクラスの士気を上げている銀八の白い後ろ姿を何気なく見つめる。

土方のことが片付いて1週間。この1週間、銀八は桂との接触を断っている。

桂自身委員会や集計に忙殺されていてそれどころではなかった。
しかし、ほんの1週間一切銀八と会話すらしていない状況は初めてで、桂はどこか拍子抜けしていた。
1週間前は、銀八の自宅に軟禁されていたというのに、今は一生徒としての関わりさえ殆ど皆無である。
その距離感のギャップに、桂は少し戸惑っていた。
何を考えているかわからない。
それは常のことではあったが、今回は様子が違った。
意味ありげに目を合わせてくることすらしない。いつもの雑用さえ頼んでこない。
意図的に避けられているような感じがしていた。
心当たりがないと言えば嘘になる。最後に銀八に抱かれたとき、桂は土方のことを考えていた。
そしていともたやすく銀八はそれを見破った。そして、それっきり。
違う男のことを一瞬考えたということに理由を付けて、壊されるほどいたぶられるだろうと覚悟していた桂にとって、銀八の行動はあまりに予想の範囲外である。
そして、ある結論に思い至る。

もしかして、あのことをバラすつもりではないだろうか?

高杉の麻薬の常習と自分の関与。随分前のことに思えるが、実際にはまだ半年しか経っていない。時効と言うには早すぎるだろう。
しかし、そのことを報告すれば銀八の首も危うい。そんな単純な行動をあの男がするだろうか。
だが、桂自ら真意を問いただすことなどできなかった。
自分から銀八に犯してくれと言いに行くようなものである。
だからといってこの状況に甘んじるのか?
もう何度も繰り返した思考を、桂は溜息と共に脳内から追い出した。
考えない方が楽だった。
今は兎に角、学祭の準備に集中しなければ。銀八のことなど、忘れなければ。

それでも、空洞のような真っ暗な穴が桂の全身に拡がっていく。
忘れようとすればするほど、銀八がきちんと「教師」をしている姿を見るほど、穴は深く、どす黒くなっていく。
桂は銀八に点けられた、左手のやけどの痕に目を向ける。
今となってはそこだけが、桂を銀八に縛る唯一の痕跡だった。























「……わかってんだろうなお前ら」

銀八が一層低い声で呟く。
秋も深まった埃っぽい教室の中央、円陣の頂点の位置。
椅子や机は邪魔者のように教室の後方へ追いやられ、けして広くない教室のスペースほとんどをセット用の大道具が占領している。

「わかってるヨ、銀ちゃん」

銀八の隣では神楽が腰を屈め、同じように声を落として神妙に呟く。
全員が交互に肩を組み、今までにないほど真剣な表情で顔を寄せ合う。


「全身全霊で手前の役を演じやがれ!!肉は俺たちの胃袋に入るのを待っている!!ぜってぇ優勝して全員で焼き肉食いに行くぞオオオオオオ!!」

「オオオオオオオオ!!」


焼き肉への執念は思った以上に恐ろしく、この一ヶ月協調性のない筈のZ組メンバーは一丸となって学祭の準備に奔走した。
学級委員の桂を中心に毎日遅くまで大道具製作や本格的な稽古が行われ、驚くほど順調に当日を迎えることとなった。
一時はどうなることかと危惧していた桂も、これには本当にほっとしていた。

一月。もうそんなに経つのか。

桂はどこか現実味なく、ぎゃあぎゃあ一緒になって騒ぐ銀八に視線を遣った。

あれから、銀八からは本当に何も接触がない。

流石に、リーダーである学級委員と話さないわけにはいかないので必要最低限の会話はしている。
だがそれ以上でも以下でもない。桂はいつしか、焦ることも辞めた。
その代わりに、経験したことのないような孤独を感じるようになった。
疎外されているような、拒絶されているような。
銀八に何を言われたというわけでもない。もう関係を終わらせると告げられたわけでもない。
寧ろはっきりそう言ってくれる方がマシだった。
銀八が背後を通る度、身構える自分がいる。気配を感じた背中が粟立つのを認める。瞳が無意識に銀八を追っていく。
まるで銀八に、また前のように辱められることを期待しているように。服従するのを全身が待っているかのように。

どうしよう。俺は、本当におかしくなってしまった。

桂はそんな自分の身体に嫌悪感を抱いた。
夜、床の中で銀八の無骨な、優しさの欠片もない掌を思い出す。
銀八の感触はシーツの隙間に入り込んできて、桂の痩せた身体をまさぐる。
誰もいない隣に、銀八が横たわり、甘く低く、声のない声で囁く。

小太郎、気持ちいい?

そんなことを思い出す自分に激しい厭悪を感じ、えもいわれぬ背徳に喉仏ごと支配されながら唾を飲み下す。
血管が破裂しそうに熱くなって、口の中が乾く。
嫌だ、こんな、駄目だと理性の端で木霊する制止も虚しい。
身体はぐいぐいと見えない糸に引っ張られて、欲望に沈んでいく。
もうどうにでもなれ、と自暴自棄になって、完全に堅くなった自身の中心に手を伸ばす、最初は控えめに布の上から、足りなくなって下着の中に手を入れる。
と同時に、散々開かされてきた後孔がひくつく。
反射的に、銀八を悦ばせるような甲高い声が洩れそうになるのをぐっと制止し、銀八が施した方法で自分自身を慰める。
熱が高くなって、下から上に、人間らしい思考を塗りつぶすほどの波が押し寄せる。
塗りつぶされた上から、先生、先生、俺を抱いて、と有り得ない欲求がふって沸いてくる。
ぐらりと頭が揺れて、下着が汚れる。荒い呼吸のまま下着を替えに洗面所へ向かったときに、激しい後悔と悔しさが思い出したように訪れる。
思い出したくなどないのに、思い出すのはあの男のことばかり。
鎖で記憶をがんじがらめにしておかなければ、あちこちから穴が開いて銀八が溢れ出て止まらない。
こんな自分が大嫌いだ、確かにそう思うのに、まだ身体は十分に満足できていない。
そんな夜を幾度となく繰り返せど、銀八に近付くことすらままならない。
幻は確実に毎晩訪れるのに、実体の彼と目を合わすことさえも、できない。


「ヅラぁ、何ぼーっとしてるネ!移動ヨ移動!マーライオンのセット持つアル!」

「開演まであと30分ですよ、桂さん。急ぎましょう!」


銀八の姿を追っていた桂の肩を大袈裟に叩きながら、主役の神楽と下僕役の新八がとても充実した笑顔で声を掛ける。
そこではっと我に返り、桂はぎこちない笑顔で、

「すまない、ちょっと緊張していた。さあ、行こうか」

と無理矢理明るい口調で言った。






演目はオリジナルで、「姫っつったってなぁみんな普通の人間なんだよ毎日が戦場だバカヤロー」
という白雪姫とかぐや姫とシンデレラをごちゃ混ぜにしたパロディ劇だった。
脚本らしい脚本はなかったが、継母からのいびりに耐え抜いたシンデレラと白雪姫が、何も知らずにぬくぬくと育てられた世間知らずなかぐや姫を鍛え直すという
ストーリー展開で、涙あり笑いありのドタバタ劇という体で進んでいく。


「ていうか名前の時点でワタシ負け組じゃない?あんたたちは名前に姫ってついてるけどワタシなんて灰かぶりよ?
そもそもワタシ庶民出身だし!あんたら姫育ちなんかに庶民の生活の苦労の何がわかるって言うのよ!」

「あたしなんて2回殺されかけたのよ!?継母に刺殺と毒殺されかけたっつーの!脅しとかじゃなくガチで殺しに来たのよ!しかも一回は死んでるし!
何でこんなマフィアみたいな人生!?こんなんなら姫なんてやってらんねえわマジで!」

「竹の中狭くてタケノコ臭くてやってらんなかったアル。寄ってくる男はみんなキモいボンボンだし、ワタシだけ王子さま現れなかったネ。
この中で一番可愛いのに」

「「おめーは黙ってろ!!」」


桂は次のセットの準備時にカーテンを閉めるため、舞台袖で待機していた。
神楽とお妙、それにさっちゃんも、それぞれに生き生きと与えられた役をこなしている。
神楽の訛りだけはどうにもならなかったが、それもまたキャラクターにいい刺激を与えており、観客の笑いを誘う揮発剤となっている。

「…っ」

左手首が偶に思い出したように痛む。
先ほど重いセットを運んでいた際に、段差で躓いてしまった。
受け身を取ったが上手くいかず、左手首を捻ってしまい、元はカーテン開け閉め係は東城だったが急遽交代してもらったのだ。
不甲斐ない、と桂は溜息を吐いた。
その時に、背後から誰かが近付いてくる気配を感じた。


「よう。上手くいってっか」


銀八が、いつもの白衣に草臥れたスーツではなく、黒のカットソーにジーンズという出で立ちでそこに立っていた。
一瞬本当に自分に話しかけているのかどうかわからず、辺りを見回したが他には誰もいない。
少しタイミングを外して、こくりと頷いた。


「お前、何でこんな地味な役なわけ」

「あ…ケガ、して」


面白いように、心臓の拍動が早くなる。こんなに近くで話すのは久しぶりだった。
ふと、膜がかかったように銀八を夢想した夜のことが思い出された。その相手が目の前にいる。
何だか妙な気分だった。答える声も、以前より震える。
銀八は桂の左手首に巻かれた包帯に目を遣る。そしてその手を徐に、しかし優しく掴んだ。
手指の感触が、桂の柔らかい肌に走る。手に触れられているだけだというのに、桂の背筋はぞくりと粟立った。
どくどくと、脈打つ音が響き渡る。この舞台中に響き渡ってしまうんじゃないかと危惧するほどに大きく。


「痛い?」


銀八は何度か手の向きを変える。桂は首を振る。
銀八は桂の瞳を見ない。代わりに、左手の甲に痛々しく残る煙草の痕を眺めている。
それは以前、銀八に押しつけられてできた痕。其れを、只見られている。
何を思っているのか、わからない。
桂は居心地の悪さと、極度の緊張と、銀八の手と自分の手の皮膚の擦れる程度の距離感に全神経を奪われていた。


「無理すんなよ」


銀八はそっと手を放し、また違う方へ声を掛けに行った。
今のは一教師として激励しに来てくれただけだ、ということはわかっている。
なのに、こんなにも喉が渇いて仕方ない。

もう二度と、あんな関係に戻ることはないのだろうか。
そうだとしたら、もう忘れなければ。
あの手の感触を、忘れなければ。痕も、肌に刻み込まれた銀八の重みも、皮膚の感触も。

そうでなければ、まともに生きていけない。そんな気がした。























おっちゃんもたまにはこんな3Z書いてみたくって 
つづく!

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