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「あー、お前らアレだ。人生は甘くねぇ。どんなに頑張っても、手が届かねぇもんってのがある」


銀八のいつにない神妙な物言いに、Z組の面子は同じように神妙な面持ちで教師の言葉を聞いた。


「おめーらこんな高い肉にいつでもありつけると思うなよ!そのへん肝に命じて好きなだけ食えコノヤロー!!」

「いっただっきまーす!!」


それを合図に、途端に焼き肉屋は戦場と化した。箸と箸がぶつかり合ってまるでちゃんばらのような音が響く。
Z組の演劇は見事最優秀賞を獲得し、打ち上げの豪華焼き肉食べ放題にありつけたというわけだ。
もちろん飲酒は一切禁止だが、みな勝利の快感に酔いしれ、酒は一滴も入っていないにも関わらずまるで宴会のようなどんちゃん騒ぎが続いた。

桂はと言うと、あまりの争奪戦の激しさに気が引けて、手つかずに捨て置かれている野菜の消費に回った。
銀八は神楽と沖田と上ミノを奪い合っている。
そんな肉、本当はどうだっていいんだろうなと桂は思った。
あれは彼の演じている「教師」だ。桂は冷めた目でお祭り騒ぎを傍観していた。

二次会はカラオケに行く、とまだまだ遊び足りない面々は息巻いていたが、数人の女子は帰宅すると言う。
桂も二次会にまで行く気にはなれず、彼女たちと帰路に着こうとしていた。


「あー、んじゃ全員車で送ってくから。てめーら羽目外しすぎんなよ、補導されたら俺が怒られんだからな!」


銀ちゃんも行こうヨー!と神楽が叫んだが、銀八は俺はお前らほど暇じゃねーんだよ、と言って桂たちを駐車場まで案内した。
さっちゃんは先生に送ってもらえるなんてもう死んでもいい、と雄叫びを上げていた。


「あら先生、こんな高級車持ってたんですか?」
「ばーかちげーよ、こんな高い車買えるわけねーだろーが。これダチの車だから汚したらぶっ飛ばすよ」


さっちゃんは真っ先に助手席に乗り込み、後部座席には志村姉、柳生家のお嬢、それに桂が乗り込んだ。
銀八は慣れた手つきでカーナビをいじり、順々に自宅への道のりを聞いていく。


「あ、ヅラくんは男の子だから最後ね」


銀八が斜め後ろに座る桂の方を向いて言い、車は発進した。
女子は高級車の乗り心地の良さに興奮している。
桂はぼんやりと、この車に初めて乗ったときのことや、今自分が座っている座席で行われた行為を反芻していた。
あの時は汚したらぶっ殺すよ、と言われて、しっかりとゴムを付けられた。
そして、桂が達するごとにゴムを付け替えて、使用済みのゴムは桂の口の中に押し込んだ。
その時の嫌な味がむっと口内に広がり、桂は堅く瞼を閉じた。

志村道場で妙を降ろし、少し先の柳生家の豪邸で九兵衛を降ろしたあと、さっちゃんの家に向かう。
桂の家は彼女の自宅より遠い。必然的に、さっちゃんを降ろした後は二人きりになる。それを思うと桂の胃はきりきりと痛んだ。


「ここでいい?」


ナビ通りに順調に進んだ先に、中流家庭らしい一軒家が見えた。門の前には猿飛の表札が掲げてある。
さっちゃんははい、と頷いたが、中々降りようとしなかった。
少しの間を置き、彼女はきっと顔を上げた。
その表情にはいつになく真剣で、何らかの決意が垣間見えた。


「先生、少しだけ一緒に降りてもらえませんか?」


銀八は不思議そうにして、しかしシートベルトを外して降車した。それに続いてさっちゃんも車を降りる。
桂は車内から二人の様子を見ていた。
車から少し離れたところで、何か会話している。表情はよく窺えない。
目を逸らした方がいいのではないかと思いはしたが、桂は二人の姿を見続けた。

暫くすると、さっちゃんが下を向いて両手で顔を覆った。泣き出したのだろうか?でも、どうして。

すると銀八が、泣き崩れる彼女をそっと抱き締めた。

それを見た瞬間、桂は喉が引き攣るのを感じた。

何を妄想したわけでもないが、とにかく心臓に鉛が落とされたようにずくんと胸が落ち込んだ。
あんなに優しく、他人を抱き締めている銀八を見ることになるなんて。
銀八はさっちゃんの想いを受け入れたのだろうか。次は彼女、ということだろうか。

そうだ、だって、以前から彼女は銀八を慕っていた。いっそ盲目なまでに。
そんな彼女なら、銀八にどんなことを要求されても喜んで従うだろう。
弱味を握って無理矢理服従させるよりずっと楽だし、銀八自身楽しめるはずだ。
第一、俺は男で、彼女は女。どう考えたって、俺にはもう何も見いだせない。
それなら、よかったじゃないか。誰も傷つかずにすむじゃないか。俺も、解放される。全て丸く収まったんだ。これでいい。

なのにどうして、こんなにも寂しくてたまらないんだろう。

桂は膝に置いた手をぎゅっと握った。銀八が車に戻ってきても、力は緩められなかった。



車はいつまで経っても発進されないままだった。
銀八はジーンズのポケットからセブンスターの箱を取り出し、窓を開けて吸う。
桂は痛む胃を押さえながら、銀八の様子を窺った。


「___文化祭、お疲れ様」


銀八が一本目の煙草を吸い終わったとき、初めてそう言った。
桂の位置からでは、銀八の左半身しか見えない。お疲れ様です、とだけ桂は返した。


「どうだった?クラスの女子と仲良くなれた?」

「…はい、まあ」

「よかったじゃん。まぁ、ヅラくんも男の子だし好きな子の一人や二人ねぇ」


突然女子の話題を振られ、桂は少し違和感を感じたが、直ぐに銀八の言いたいことが分かった。
つまるところ、好きな女子を作れということだ。
自分には他の相手ができたから、お前もそうしろということを言おうとしているのだろう。
普段はあまりこういった、言葉の裏を読むのが苦手なのに、今この小綺麗な車内では手に取るように分かってしまう。


「…でも、俺はあんまりそういうのは」

「へぇ、そう?俺がヅラくんぐらいん時はめちゃくちゃ盛ってたけどねぇ」

「…先生は、女子に人気だから」


悔しまぎれにそう言うと、銀八はは、と鼻で笑い、そーう?とおどけた調子で尋ねてきた。


「さっきだって、さっさんに」

「ああ…アレね。でも俺、生徒には手ぇ出さないから」


その言葉に眉を顰め、俯いていた顔を上げる。
すると、意外にも近くに銀八の顔があった。どうやら座席を少し倒したらしい。
しかめ面をしている桂に、銀八は妖しく笑んで言う。


「お前以外」


ぞくり、と甘い寒気が襲った。見合った返事に窮して、桂は長い睫毛を瞬かせる。
銀八は仰け反った状態で桂を見つめている。


「…お前は?」

「…え…ッ」

「クラスの女子には手ぇ出さないの?女の子といろんなことシてみたくない?」


試すような、挑むようなその口ぶりだけで、銀八の意図を持った視線が自分に降り注いでいるというだけで、腰の辺りが熱くなり始める。
あばら骨ごと下に持っていかれそうな、銀八を夢想して溺れた欲望のひしめく海に、また陥没しそうになる。
あの背徳と、快楽。


「お…俺、は…」

「俺は?」

「したくない…」

「マジで、それってちょっと不健全なんじゃないの?男子として」


銀八の瞳が異様に近い。眼球の動きにすら、ぞくぞくする。
眩暈がして、目の前に在る身体に触れてみたい、と激しく感じる。唇が震える。


「先生としか…したくない」


きっと今、自分はひどく縋るような顔をしているんだろう。言い切ったと同時に眦に涙さえ浮かんだのだから。
情けない、情けなくて仕方がないけど、心の芯に開いた穴が、じわじわと埋まっていくのを感じる。寂寞が消えていく。

この男に縋りたい。魂が、彼を呼んでいる。先生、先生。

シートが更に深く倒されたかと思うと、桂は首ごと銀八の方に引き寄せられ、食らい付かれるようにして口唇を貪られた。
銀八の舌が生き物のように口内を這い、むしゃぶりつく。
生ぬるいその感触に、懐かしさというよりはどこか不気味さを覚えるが、それすらじわじわと快楽にすり替わり、ぐっと腰全体が押し上げられる。
熱が固まり、身体ごと上昇する。

「っア…!」

下着に嫌な感触を覚えた。まるで失禁したような羞恥が押し寄せる。
今のキスだけで、射精してしまったのだ。汚れた下着が語る事実に、桂は少し打ちひしがれた。


「…嘘。今のだけでイったの?」


唇が触れあうか触れあわないかの距離で、銀八が茶化す。かっと額に熱が集まるのを感じた。


「そんなに我慢できなかった?ずっとシてなかったの?」

「……いえ……」

「俺とヤってない間どうやってた?一人でココ、いじってたの?」


聞きながら、銀八は桂の股間を握り込んだ。
吐精したばかりで敏感な局部は、布越しの衝撃でも強すぎるぐらいだった。
桂の唇の隙間から、甘い吐息が這い出る。おぼつかない舌を動かし、銀八の卑猥な質問に答えた。


「ン…先生のこと、考えながら…シて、ました」

「…へぇ…」


銀八は満足そうに微笑んで、愛撫を更に深く、ねちっこくする。まさぐられて、摘まれて。
今度こそ素直に、桂は高い声を上げる。毎晩押し殺した、銀八を、自分を昂める声を。
銀八が桂の細い身体を些か乱暴に抱き上げ、運転席の自分の膝の上に乗せる。
間髪を入れずに、性器への愛撫とキスを再開する。
桂は貪欲に、銀八を求め自ら腰を擦りつける。
銀八も何も言わない。ただ、行為に没頭しているようだった。
それが少し嬉しくて、桂も思考や理性を全てかなぐり捨てて銀八の白い後頭部にしがみついて、ただ、求める。
互いの欲望がここまで激しくぶつかり合うことは初めてだった。
桂は自分のベルトを外し、直接濡れそぼった自身へ触れてもらおうと藻掻く。銀八もそれを手伝う。
もどかしくて震える指。全身は今この瞬間には、快楽を貪り食うための道具としてしか機能していない。
何も、見えない。取り巻く現実も、立場も、ヒエラルキーさえも此所にはない。
恥もなく桂は荒く喘ぐ。ズボンを腰までずり下げ、下半身を露わにした桂の足を開いて、銀八はぐっと体重を掛けた。

その時に、桂の背中がハンドルにのしかかり、たちまちクラクションのけたたましい音が静かな住宅街に響き渡った。


「…っ!」


その甲高い音が一瞬、桂を現実に引き戻す。
今の音で、誰かが外に出てきてしまうかもしれない。とりわけ、帰宅したところのさっちゃんが。
銀八もそれは同様だったらしく、一旦桂を助手席に引きはがし、急いでアクセルを踏んだ。
シートに先走りの所為でできた沁みがつく。
ああ、高い車なのに、と桂は頭の片隅で思ったが、謝る前に車は発進していた。











先生の作戦勝ち、ってことで。
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