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綺麗な子じゃあ。
それが、坂本辰馬が桂小太郎に抱いた印象だった。
坂本は若くしてホストクラブ「JOY」を立ち上げ、その手の才能が元より備わっていたのか、そのホストクラブは当時あまり隆盛とは言えなかった業界を
活気づかせるほどの人気を博し、あれよというまにかぶき町以外にも多くのチェーン店を展開させるまでに至った。
ホストクラブというきらびやかで、その反面汚い、怖いといったイメージを逆手に取り、あえてアットホームな店に仕立て、
値段も良心的な設定にしたことで、あまり近寄ることもなかった若い女性も気軽に訪れることが可能になったことが成功の鍵だった。
ホストクラブと言えばバックボーンに暴力団が付いていることが最早自明のことであったが、坂本だけは違った。
彼自身その昔、かぶき町で最大の組織のトップを務めたことがあり、その筋の者ならば知らない者はないほどの暴れ者であったので、
彼の店を荒らす勇気のある者は誰一人として存在しなかった。
そのような背景もあり、なにはともあれ坂本の経営する店は繁盛した。

その日も坂本は例によって、「品定め」のためにゲイ専門のデリヘルを利用した。
男娼で顔立ちのいい者を、いわばヘッドハンティングし店のホストに育て上げる。
あまり堂々とはやれないが、こういった職業に就いている者には訳ありが多く、そこに同情し面倒を見てやれば坂本の「犬」が
いとも容易くできあがるというわけだ。
一見狡猾に見えるやり方だが、坂本という男は情に厚く、その実彼らを救済する意味も孕んでいた。
実際、始めは荒んでいた若者たちが坂本の店で働くうちに活気を取り戻し始めることは珍しいことではなかった。
 そこそこに高価なホテルで客として男を待った。使えなさそうな奴ならば、愉しんで金を払って終わりだ。
抱くのは女だけなどというつまらないポリシーは坂本にはない。
気持ちよければ何だって構わないではないか。しかも相手はプロだ、そのへんのごろつきのカマを掘るわけではない。


来客があったとフロントから電話が来てから5分もしない内に、部屋をノックする音が聞こえた。
ドアを開ける前に覗き穴から今日の候補生の姿を見ると、黒い艶髪が目に飛び込み坂本をぎょっとさせた。
はて、おなごの商売も始めたのかのう、と訝しみつつドアを開けると、そこにはしかし年端もいかない青年が立っていた。
長い髪が目立つ、凛とした大きな瞳を持った男。だがその瞳は翳り、それどころか全身が小刻みに震えていた。

(…これは、初出勤かの)

怯える青年をゆっくり部屋の中に入れ、坂本はドアを閉めた。
予想外の高級ホテルに驚いているのか、目をきょろきょろとさせている。
立ち尽くしたままの彼に、坂本はソファに座るよう促した。話しかけると、細い肩が大袈裟に跳ねた。疑う余地もなく、初出勤だろう。


「えーと、こたくん、でええか?」

「……はい…」

「紅茶かコーヒーか、どっちがええ?」

「え?」

「わしは今日はミルクチーにしようかのー。ここのホテルのルームサービスは最高なんじゃ!」


これからどんなプレイを要求されるのかと思っていたであろう青年は、目を丸くして暫く答えることもできない様子だったが、
ぽそりと「紅茶で…」と呟いた。
ルームサービスを待つ間、とりとめもない話を坂本が一方的にした。
青年は相づちを打ちながら、必死に此方の腹を探っているようだった。
無理もない、一向に性的な要求どころか、そんな話もしないのだ。目的は始めから一つのはずなのに。
坂本はこの上玉を、店のものにしようと一目で決めた。
憂いを帯びた瞳と言い、背負う真っ黒い影と言い、彼がどうしようもなくなってこんな商売を始めたのだということまで坂本には一目瞭然だった。
半分ほど利用時間が過ぎた頃、坂本の携帯電話がうるさく鳴り響いた。


「ちくっと失礼」


坂本は鳴り響く着信音を無視することもできたが、そのメロディは仕事中でなければ無視したくない相手からのものだった。


「わしじゃ」

『もう無理。ほんっともうガマンの限界。あいつ、クビにして』


開口一番に電話相手は憔悴しきった声でそんなことを言い放った。


「何じゃぁ、金丸くんのどこが悪いんじゃ。おんし、世話係をクビにするのこれで何度目じゃ?」

『うっせーよ!!あの野郎手前と似たような女とイチャイチャイチャイチャしやがって目障りなんだよ!!』


電話越しに、一号店のトップに君臨しつづけるナンバー1古株ホストである坂田金時ががなる。
数年間彼の世話係として付けた志村新八の仕事ぶりを買い、坂本は半年前に彼を店舗経営者に昇進させた。
その後釜という後釜に金時は難癖をつけ、次々とクビにしている。事実、くせ者が多かったのだが。


「その話はまた後でな。今ちょいとデート中での…」


そう言ってちらりと青年の方に視線を遣ると、意外にも彼は坂本の携帯電話に__正確には、機体にぶら下がったストラップにくぎづけになっていた。
宇宙怪獣ステファンという、最近一部の若い女の子に人気だという所謂「キモかわいい」キャラクターの人形型ストラップである。
それを呆けたように見入っている表情には、常に纏っていた憂いが陰を潜め、代わりに年相応の青さがにじみ出ていた。

無理矢理電話を切ると、坂本はようやくこのうら若き哀れな男娼との共通点を見つけたと悟った。


「これ、好きなん?」


声を掛けると、青年はびくっと肩を仰け反らせてまた不安げな瞳で此方を見た。
しかし、今度は少し頬を染めてこくん、と頷いてみせた。


「まっこと素晴らしかー!これのぉ、女の子にもあんまりウケんのよぉ。
わしはこいつがめんこくてしゃあないんじゃが、だぁれもわかってくれんき、寂しかったんじゃ。
こたくんにはこいつの魅力がわかるか!ほーかほーか!あっはっは−!」


心底嬉しそうにしている客を、青年は純粋に物珍しげに見ていた。
坂本は実際、嬉しかった。
この半時ほど心を閉ざしたままだった人間が、初めて少しだけ彼自身を見せてくれたのだから。その片鱗でも坂本にとっては貴重だった。


「ほれ、おんしにやろう」


坂本はストラップを器用に外し、青年の前に差し出した。


「も、もらえませんそんな…お客さんから」

「なぁに、これはわしがあげたいんじゃ。初めてこいつを好きや言う人に出会えたんがたまらんくてのぉ。じゃき、もらってやってくれんか」


坂本の気迫に押されたのか、青年はおずおずとその小さな600円程度の飾りを受け取った。


「かわいい」


そう呟くと引っ込み思案な子供のような表情で、青年はじっと贈り物に見入った。
人形のような顔立ちに感情が宿り、ますます美しさが際立っている。
彼ともっと打ち解けたい、と坂本は思った。
己の利益のため、店の繁盛のためなんて小賢しい理由はこの時ばかりは消失した。
純粋に、仲良くなりたいな、と思えた。そういえば金時と出会ったときも、こんな風に子供じみた感情を抱いた。


「なぁ、こたくん。わしはちっと変わった性癖の持ち主での」


性癖、という言葉に、青年は怯えたような目をした。
遂に来たか、と絶望したようにストラップを膝に置き、目線もそちらの方に落とす。
この贈り物も、今から自分のいいなりにさせるためのものだったのだと悟ったように、はい、と暗い声で青年は答えた。


「実は、わしはこうして綺麗な男の子と話すのが大好きな変態での」


その言葉があまりにも意外だったのか、ぱっと顔を上げて驚いた様子で青年は坂本を見据えた。
真っ直ぐすぎて、脆い目線。坂本は射貫かれたような心地がした。
仕事柄沢山の見目麗しい女性や男性を目にしたり、あるいは関係を持ったりするが、瞳だけでここまで引き込まれた経験は坂本にはなかった。
この青年は、自分に対し無垢なのだ。
飾り立てる夜の女の美とは明らかに毛色の違う美。彼は、自分の美しさをまだ理解していない。
どこをどんな風に見せればより魅力が増すだとか、そういったことを何も知らないのだ。
無垢であるからこそ脆く、境界線上にぎりぎりつま先立ちしているような危なっかしい美しさ。
しかしそれは有限のもの。いつまで飾らない美を有することができるのか。
汚染されゆくその直前にある美しさ、聡明さ、実直さ。破壊の美学というものを、坂本はこの時痛感した。


「…じゃき、またこうしてわしと話してくれんかの。もちろん金はたっぷり支払うぜよ、こんな変態に付き合ってくれとるんじゃきぃ」


あどけなく坂本はにっと笑った。青年は驚きながらも、この日初めて笑顔を見せてくれた。
笑顔というのはこんなにも高貴なもんじゃったかのぉ。
坂本は漠然とそんな風に思った。
まるで初恋を知る少年のように、壮大な芸術を目の当たりにしたときのように、心が歓喜の生ぬるい波で浸った。
壊れゆく美の傍で、こぼれ落ちる其れを拾い集めてはまた元に戻してみたい。それは自分の作品となる。
目の前のしがない男娼が、自分の中だけで芸術として存在する。純真な彼をそんな風に、してみたい。
そんな残酷な衝動に、もう随分と夜の汚さを知り熟し切った男は駆られた。







にーぶにーぶにぶぶー(たーけたーけたけるー)