「はいはーい、とっとと移動する。嫌いな奴と隣になっても文句言わなーい」

がたがたとやかましい音を立てて、月に1度の席替えがZ組で行われていた。
HRが長引くと帰る時間が遅れると、銀八は不満そうに嬉々として机を新しい位置に移動させる生徒たちを促した。
桂はこの席替えの結果に愕然としていた。よりにもよって、自分が引いたくじの番号は教卓の真ん前の席を意味していたのだ。
そして左隣には、不服そうに憮然と座っている土方の姿。最悪の位置関係に、桂は溜息を吐いた。



嫌いなんだよ、あのうざい長髪。


銀八が先ほど自分の居ないところで下した真摯な評価。思い出しては、じくりと痛む胃を感じる。

「目ぇ悪くて前の席に行きたいとか言う馬鹿な、いや勤勉な奴いっかー」
「先生、俺ァこの位置じゃ黒板が見えません」


最後の最後に桂の後ろの席に移動してきた沖田がそう名乗り出た。銀八はあぁ?と面倒くさそうに返した。


「沖田くんは視力だけはいいはずでしょうが。嘘はいけません嘘は」
「いやァ、そういう問題じゃねぇんでさァ。ここからじゃ、桂くんの長髪が邪魔で黒板が見えないんでィ」


例によってまた沖田が半乾きの桂の髪に野次を飛ばした。
以前に牛乳騒動があってからというもの、沖田は一層桂を目の敵にしているようだった。
ことあるごとに桂を、特に髪に関して風紀委員という肩書きを借りて詰る。
いつものことだと流せない理由は明白である。それでも苛立ちを表面に出さないために、桂は押し黙った。
今は些細なことでも桂の神経を逆なでする。


「しゃーねぇなぁ、んじゃあヅラくんそのヅラいい加減取りなさい」


銀八が、教卓から身を乗り出して桂の方を見ずにそう告げた。その返答も可笑しいほどにいつも通りだ。

なのに。どうしてこんなに腹立たしいんだろう。
桂は眉根をぐっと寄せた。

土方がちらりと此方に視線を投げてきた。
昼間に知った銀八の感情と、今の冗談めかした言葉とを重ね合わせているのだろう。
桂の知らない筈の、銀八の桂に対する嫌悪。
其れを知った今、土方は桂に優越を感じられる立場にある。
そう思うと寒気が桂の背中を襲った。

「桂ぁ、ハサミならありますぜィ」

反応しない桂を面白くなく思ったのだろう、沖田は背後から乗り出して鋏を桂の机の上に置いた。
沖田らしい、およそ学校の授業では使わないような真鍮の綺麗な鋏だった。
何でそんな鋏持ってんだ物騒な、などと銀八が茶々を入れる。
周囲も愉快そうに、和やかなロングホームルームを楽しんでいる。土方は此方をそっと見ている。
今朝の行為を思い出す。髪に精液をかけるなんて、嫌いでなければしないことだ。
この教師は、初めから自分が嫌いだっただけだった。自分を傷つけてぼろぼろにして、壊れていく様を見たかっただけだったのだ。
気づけば、桂は目の前に横たわる鋏に手を伸ばしていた。
殆ど無意識のうちに、鋏を握って細い絹糸のような髪を左側に全て寄せて束にした。
そして無感動に、鋏の両の刃を其れに近づけた。


「…!てめっ」


しゃきん、と小気味いい音と共に桂の長く豊かな髪が切り落とされるのと、桂の意図に気付いた銀八が咄嗟に
桂の腕を掴んだのとは、ほぼ同じタイミングだった。


周囲はしん、と静まりかえる。何が起きたのか誰も理解できていないようだった。

腕を掴む銀八の手は、小刻みに震えていた。ああ殴りたいんだろうな、とその意味を察知する。
銀八は、紅い目を見開いて、眉間に深く皺を寄せて、信じられないといったような表情で桂を見ている。
そんな顔を見るのは桂は初めてで、ほんの少し意外だった。
暫くの後に、銀八が感情を押し殺した表情のない顔で腕を放した。
それと同時に、つい数秒前まで桂の一部だった毛髪が、ただの塵となってぱさりと床の上に落ちた。


「片付けろ」


銀八は、およそ教員らしからぬ声で桂にそれだけを命令した。
クラスの面々も銀八の聴いたこともないような怒りを孕んだ声にすっかり戦いて、誰かの息を呑む音すら聞こえた。
首もとが外気に晒されてひやりと冷たい。
その冷気を感じながら桂は無言で床に散らばった自身の毛髪を拾い集め始めた。
銀八はそれを少しの間見ると、徐にホームルームを再開し、簡潔な連絡をし終わると「帰っていーよ」と常の
気だるげな声でそう告げた。


「桂。終わったら準備室来い」


銀八がそう言って教室を去ると、ひそひそと興奮した囁き声が教室内に彎曲し始めた。
桂は、いっそ少し可笑しいくらいに、何も感じていなかった。
銀八はとても怒っているようだったが、自分が今したことが、どうしてもそんなに重大なことだとは思えなかった。
桂は最後の一本まで髪を拾い集めて捨てると、何のためらいもなく淡々と国語準備室へ向かうべく帰り支度を始めた。
おい、と土方が声を掛けてきたが、無視して教室を出た。








































「鍵閉めろ」






桂が国語準備室に常と変わらない、いや常よりも鷹揚な態度で入室したとき、開口一番に銀八が言ったのはその一言だった。
見るからに苛立っていて、煙草をひっきりなしに吸っている。桂は扉の前で直立していた。
短くなった毛先が、うなじに当たってちくちくとくすぐったい。
銀八は床に煙草を落とし、だん、と大袈裟な音を立てて揉み消した。
桂には、彼がどうしてそんなに怒っているのかよくわからなかった。
勿論自分がしたことは、傍目から見れば奇怪な行為だったろう。
しかし、今までのことも踏まえて、髪を切ったこと自体は銀八の心に影響を与えるには十分ではないように思える。
寧ろ彼が嫌う長髪をばっさりと切ったのだ、それも皆の見ている前で。
桂は十二分に恥をかいたし、銀八は面白がって然るべきだと思うのに。
当の銀八は全くの逆の感情を抱いているようだった。


「来い」


今度こそ怒りを隠し切れていない低い声で、銀八はそう命じた。しかし桂は動かなかった。
どうしてだか動きたくなかった。心に膜でも張ったかのように、怯えも憤りも全てすり抜けていく。
桂に動く気がないと察知した銀八は遂に我慢の限界が来たようで、ずんずんと此方へ歩み寄り、
短くなった桂の髪を思い切り掴み、引きずった。

「い…っ!」

渾身の力で床に投げ飛ばされた桂は、背中を床に強打した。
鈍い痛みが肩胛骨に響く。次いで、鳩尾に衝撃が走った。銀八が倒れ込んだ桂の、隙だらけの腹に蹴りを入れたのだ。
内臓が潰されるほどの圧迫に、桂は覚えず窒息しかけた。

「ぐ、げほ…っ」

腹を押さえて咳き込んでいると、それを許さず銀八がもう一度同じ場所を、今度はもっと強い力で蹴った。

「うぅっ…!」

桂は呻き、ごぼごぼと酷い咳を繰り返しながら胎児のように腹を抱えて蹲った。
すると、銀八は桂の肩に足を掛け、

「顔上げろ」

と命じた。強烈な痛みの所為で反応できないでいると、頭頂部を引っ掴まれ無理に顔を上げさせられた。
ぐしゃり、自分の髪が持ち上げられる音が耳にダイレクトに響く。
種類の違う痛みに顔を顰めながらも、桂は銀八の瞳をけして見ようとしなかった。

「顔上げろっつってんだろ。聞こえねぇのか?」

何度か頭を揺さぶられたが、桂はその眼を逸らした儘だった。
何を思うまでもなくただ、激痛の余韻が桂の全身を支配していた。


「何勝手なことしてやがんだ。誰がいつ髪切っていいなんて言った」


桂は何も言わなかった。
勝手?寧ろ貴様の望みを率先して実現してやったんではないか。
俺の長い髪がうざったいのだろう、そう言っていたではないか。
やっと心中で悪態を吐ける余裕が生まれたが、それすらも銀八が髪を鷲掴む力を込めるごとに痛みに殺された。
銀八も銀八で、桂が何か言い訳か謝罪を口にするまで行動を起こさないつもりらしい。
ただ、ひしひしと冷たい彼の憤りを肌に感じる。顔こそ見てはいないが、確かに伝わってくる。
ここまで感情を露わにした銀八は初めてだった。どうしてなのか、桂にはうまく理解できなかった。



「…先生が」
「あ?」
「…あなたが切れって言ったんでしょう」



震えずにその言葉を言えたことに、桂は妙な安堵を覚えた。
時が凍る。相変わらず頭皮がもげそうな鈍痛と、蹴り上げられた腹のじくじくと蠢く感触と、自分の荒い息づかい以外何もない。
耳を澄ますと時計の秒針の音がした。
粘度の高い水のような流れで、暫時支配する側とされる側のどちらも何も発さない時間が経過した。
相変わらず銀八の顔は見ていない。
そして沈黙が破られる。銀八は氷のような声で云った。




「何だそれ」



次の瞬間、桂は今度は後頭部を床に打ち付けた。脳が激しく揺れ、世界が混乱する。
痛い、と感じる暇もなく、今度は銀八に馬乗りになられた。
びりびりと豪快な音を立てて、桂の白いシャツは見るも無惨に破り捨てられていく。
それを見て桂は、銀八が次にどう自分をいたぶろうとしているのか察知した。
と同時に、感情が蘇生し、中央から隅々の細胞にまでウイルスのように嫌悪と恐怖が広がっていった。
いくら殴られても痛いだけだったのに、どうしてもその行為は厭だった。それだけはどうしても厭だったのだ。

「や、めろ!放せ、っ!」

桂は罵声と共に死にものぐるいの抵抗を始めた。
両足をじたばたとばたつかせ、未だ衣服を剥いでいる銀八の肩を必死で押し返す。


「放せええっ!」


大声で叫んだ次の刹那に、銀八に思い切り顔を殴られた。
固い拳が右頬にめり込み、がちんと歯が鳴る。あまりの強い衝撃に桂は再び床で頭を打った。
鼻の奥からどろりと生温かい血液が垂れ流れてくるのを感じた。


「う…はっ、はぁっ、厭だ、いや…」


鼻で上手く息が出来ない所為で舌足らずながらも、桂はなお抵抗を続けた。
しかしあちこちが痛くて堪らなくて、片腕を力なく上げることぐらいしかもう今の桂には出来なかった。
弱り切った桂の口に、銀八は傍に落ちていたガムテープを一枚切り取り、乱暴に貼り付けた。
苦しさから、図らずも涙が出て止まらなかった。
うー、うーと言葉を失った精神錯乱者のように、桂は泣きながら口の周りを真っ赤にして呻き続ける。
銀八は桂のベルトに手をかけズボンと下着を一緒に下ろし、桂の小さく暴れる足を割り開いて一切解さずに自身のモノを無理に押し込んだ。

「んんんんぅ!うぅ、うー、うぅう、っぐうう!」

狭い尻の穴に銀八が強制的に押し入ろうとする。
ぐ、ぐ、と異物が穴を拡げていく度に桂の閉ざされた口から声にならない悲鳴が洩れた。
どんどんと銀八の胸板を叩いたが、全く効果はなく、遂に肛門から出血した。

「うううう、んん、んぅー!ん、んぅうっ、んぅ……!!」

銀八は奥に到達するのを諦めたのか、まだ浅い箇所で無遠慮な律動を開始した。
ぐじゅりぐじゅりと、血液と先走りの液が肛門の入り口付近で混ざり合う音が妙に近く感ぜられる。
固い杭で突かれているような感覚に、桂は頭に血が昇って何も考えられなくなってきた。抵抗の仕方も忘れた。
少しして、銀八は桂の中で達するのを諦めたのか、ガムテープを桂の口から勢いよく剥がし、
そのまま口の中に絶頂を迎えかけた彼の男根を突っ込んだ。
端から舐めさせるつもりなどないらしく、初めて桂に口淫を強いたときのように後頭部の短い髪を掴み、
前後に動かし彼自らも腰を振り、絶頂を促した。
銀八も、早く終わらせたい一心と云ってもおかしくはないほどの、おざなりな行為だった。

「んぐっ、ッがハ、ぇほッ…!」

口内にようやっと苦い精液が噴射されたが、桂は其れを反射的に全て吐き出した。
桂はぼろぼろだった。後孔が切れてひりひりし、口の中は鉄と生臭い精液でひどい味で胃の中のものが全て上がってきそうだ。
もちろん蹴られた腹も痛く、息が小刻みにしかできない。涙も止まらない。生理的に、痛みで泣けてきた。
小さい子供が転んで泣く原理と同じだ。痛い痛い痛い、止まらない。
そして後からふつふつと、銀八に対する憎悪が身体の奥底から沸騰し始めた。
一も二もなく、桂はその感情を素直に爆発させた。



「…いつも、こうしてくださいよ」
「…は?」
「俺を痛めつけたいなら、こうやっていつも殴ればいいだろうって云ってるんです!
どうして俺を抱いたりするんだ、どうしてなんだよ!!」
またきっと殴られる、そう悟ったがその前に今度は嗚咽がこみ上げてきた。
当然其れを抑制する余力などなく、桂は叫びながら泣いた。
自分の居ないところで突きつけられた憎悪。今までの行為に付与していた意味の恐ろしさ。
呪われた。桂はそう思った。俺は呪われた、呪われてしまったのだ。
慟哭しても何も変わらない筈なのに、いつから自分はこんなにも感情を制御できない人間に成り下がって仕舞ったのだろう。
全部全部此奴のせいだ。こんなことならあのとき此奴を殺して俺だけ生き延びればよかったのだ。


「…ほんと何なんだよお前。マジでわけわかんねぇ…」


銀八の声は本当に困惑しているように聞こえた。
そのまま部屋を出るのかと思いきや、四つん這いのまま肩を震わしている桂の傍にしゃがみこみ、
散々暴行を加えた張本人とは思えないほど柔らかな手つきで桂の腫れた頬に触れた。


「説明してよ。何で俺がお前を痛めつけたいだろうなんて思うの」


銀八は慈愛の籠もった手で桂の鼻血と涙をごしごしと拭いた。


「なぁ、桂。頼むから」
「…土方に」
「は?土方?」
「…土方に…いってた…俺の髪が嫌いだって」


出しづらい声で未だ泣きながら、桂はありのままの事実を云った。銀八は黙然としていた。
そして、信じるか普通、と心底悔しそうな声を絞り出して、「ごめんな」と謝った。


「手当するから、今日は俺ん家泊まれ」


その髪も揃えてやる。銀八はそう云うと、裸同然の桂に白衣を着せた。同様にズボンと下着も履かせた。
どうしてだか、桂はその場から逃げられなかった。急に態度を翻されても、混乱してますます苛立って然るべきなのに。
ただ、自分でこの傷を手当てする余裕はどこにもない。
しかしそれだけでは、このまま彼の家へ付いていこうとする自分の本能の説明には不十分だ。

おかしい、と自覚はある。なのに、平生よりもずっと優しい銀八に少しばかりの安寧を覚えているのだ。
その理由は恐らく。彼が、銀八が自分を嫌っているということを、少なくとも否定してはくれたから。
信じるか普通、と呆れるように言ったその台詞は、人間じみていて銀八の本心なのだと桂は肌で感じた。
そして何が桂を恐怖に陥れていたのか、このときになってやっと分かった。

桂はこの男に、嫌われていたくなかったのだ。

そう理解した瞬間、桂は自分の軸が少しぶれるのを感じた。
だが、痛みを咀嚼することでその事象を振り切り、銀八の腕に支えられながら立ち上がった。




















続きます。本気のDVでした…すいませんでした…