慣れない道を例の銀八の車で十五分ほど走ったところに、彼の家はあった。
教師という職には到底そぐわない外観の高層マンションの十六階に、彼は住んでいた。
そういえば以前、自分には他に収入源があるといったようなことを言っていた。初めて無理矢理に犯された日のことだった。

2人は終始無言で学校から部屋までを過ごした。
銀八はその間に5本ほど煙草を吸った。紫煙が沈黙を埋めているかのようだった。

桂は痣だらけの痩身にぶかぶかの白衣を纏って、じんじんとしつこく残留する痛みを最早自分の一部のように感じながら、
初めて乗る銀八の車に意識を奪われていた。
それは小綺麗なエントランスでも、銀八の部屋に着いても同じであった。


しかし桂が一人住まいには広すぎる部屋を観察し終わる前に、銀八は桂の腕を取り、おもむろに口づけをした。
その内に其れは深くなり、熱い生き物のような舌が桂の口内に自然に侵入する。
いつもより背筋が粟立つのは、髪が短くなった所為だろう。
唇の切れたところがぴり、と痛む。唾液が垂れていく。
気がつかなかったが、桂もそうすることが当たり前のように銀八の動きに合わせて舌を絡めていた。
喉の一番奥にまで舌が達しそうなほど、深く攻め入られる。
顔が熱い。白衣が脱がせられる。
次に気付くと、背後にベッドがあって、そこに押し倒された。



「ん…っ、せんせ、っぅ…」

傷に触れないようにしながら、銀八の指が桂の肌の上を這う。その脆弱な刺激にすら反応する。
ズボンのファスナーを下げられたかと思うと、ペニスを口に含まれた。びくりと背が反る。嬌声が上がる。

「ひあッ…!」

女のように甲高い声が出たことに非道い厭悪を感じるが、そんなものよりも優位に艶やかな快楽が桂の全身を支配していく。
よく考えてみると、銀八に口淫されたことはなかった。
何処で体得したのか、的確に快感を得られる場所を舌で突いてほぐして翻弄してくる。
裏筋や睾丸まで、余すところなく愛撫される。セックスとは違って、痛みの全く伴わない快感に桂は身震いし、自我を失いかけた。
冷静な時分に聞けば喉を切り裂いて死んで仕舞いたくなるであろう喘ぎ声が、ひっきりなしに溢れ出る。

「あァんッ、や、あ、ア、ぃうあ…ッ、…んせ、も、だめ…イっちゃ…!」

昇りつめた桂の身体は打ち震えながら白濁を銀八の口内に吐き出し、頭が真っ白になる感覚に溺れた。
銀八は桂にもそうさせているように、精液を一滴も零さず飲み込んだようだった。
荒く呼吸を繰り返しながら、桂はその行為の異常さに改めて羞恥を感じた。
此をいつもは自分がしているのかと思うと、脳内で自分自身に口で達せられたように置換され、死にたい気分になった。
それでも先刻までの快感の余韻がまだ伴っている。

未だ呼吸の整わない桂の汗ばんだ額を、銀八は不気味なほど優しく撫ぜた。
そして、切れた唇の箇所に掠めるように口づける。次いで、痣だらけの鳩尾にも同様の行為をする。
触れるか触れないか、その微妙な境界に銀八の唇が存在する。
どうしてだか、得も言われぬ官能を桂は感じた。つい先刻の口淫と同等か、それ以上か。
どうしよう俺おかしい。桂は固くまぶたを閉じた。
すると、銀八は桂の耳元で、

「小太郎。風呂、入ろっか」

と囁いた。今までに聞いたこともないほど、甘い声だった。


























簡素な浴室で、桂は銀八のなすがままに身体を清められた。
まるで父親のような手つきで、銀八は手際よく桂を洗っていく。切れた尻の穴も綺麗に濯がれる。
傷に湯が沁みて痛かったが、何も言わずただ小さな椅子にじっと座っていた。
ひとしきり洗い終わると、柔らかなタオルが肩に掛けられた。
じっとしてて、と銀八が囁く。
しゃきん、と鋏の入れられる音。じぐざぐだった毛先を揃えているようだった。
鋏の冷たい刃が項に触れてひやりとする。銀八は黙々と、慎重に髪を切っていく。
小綺麗な浴室には、しゃきん、しゃきんと鋏の音だけが煩く響いた。

「…なあ」

不意に、銀八が声を掛ける。
その声には、問いかける内容に戸惑いが含まれているように思えた。
桂は振り向きかけたが、鋏が皮膚の間近にあることを思い出し、前を向いたまま何も言葉を発さなかった。

「土方に、言ったこと真に受けたんだよな」

しゃきん。また例の金属音。
桂は相も変わらず反応できずに、膝の上で揃えられた自身の握り拳を見つめていた。

「俺が、お前の髪が嫌いって言ったの聞いたから、」

そう言って言葉を切る。代わりに髪を切る。桂の言葉を待っている様子ではない。
頭の中で物事を整理しながら、少しずつ言葉を選んで口にしているという感じを桂は受けた。

「だから、ムカついて髪、切ったんだよな」

次は銀八は髪を切らなかった。
今度は、桂の反応を待っている。
そう感じ取った桂は、絞り出すような声ではい、とだけ答えた。
銀八が息を吐く。熱い風が項に触れる。
背後にいる白髪の男が何を思っているのか、桂にはうまく想像できなかった(それは常のことであるのだが)。
それにしてもこの浴室は薄ら寒い。
視界に、先ほど使われたであろうシャンプーとリンスらしき容器がある。メーカーは、どこかわからなかった。
いい匂いだ、と桂は密かに思った。銀八の髪も同じ香りがするのだろうか。
いつもは煙草の匂いと香水のせいで分からない。
そんなとりとめもないことを考えていると、銀八が散髪を再開した。
そうして、例の金属音に混じって、ぽそりと

「自惚れちゃっていいのかな、俺」

と呟いた。
自惚れる、何にだろう。桂は少しぎくりとした。
その意味は、咀嚼していたくなかった。今はもう、何も考えたくなかった。
ただ、揃えられていく髪のことだけに意識を傾けた。




























本当に予想外なことに、風呂から出たあと銀八は桂に何が食べたい、と尋ねた。
驚き固まっている桂に大きすぎるシャツを手渡しながら、銀八は「…何黙ってんの」と笑いを含んで訊いた。

「いえ…あの、じゃあ蕎麦で」
「ねーよんなもん。家にありそうなもんで」

そうは言われても、まず料理などしたこともなさそうなこの男の自宅の冷蔵庫に何があるのかなんて、
皆目検討もつかなかった。暫く悩んでいると、

「あーもーいいわ。適当に作るから」

と言ってキッチンに行ったのか脱衣所から上半身裸のまま消えていった。
自炊するのか、と桂は心の底から驚いた。
蕎麦など確かに一人住まいでは常備していないか。桂は咄嗟に出た自分の答えに気まずくなった。

幾度となく身体の関係を持ってはきたが、桂が銀八のことについて知っていることなど何一つなかった。
彼の携帯の番号は、Z組の連絡網に載っているからクラスメイトは誰でも知っている。
きっと、風紀委員や神楽や志村姉弟のほうが銀八をよく知っているだろう。
銀八もクラス名簿で、他のクラスメイトと同様桂の連絡先や誕生日などの基礎知識は知っているはずだ。
現に何度か桂の携帯に電話がかかってきている。
それを除けば、幼馴染みのよしみできっと高杉の方が自分のことをよく知っているのだろうが。


一人にされて、このとき初めて桂は銀八の部屋をゆっくり観察した。
教師が住むにはあまりにも場違いな広いリビング。
物は多い方だろう、しかし隅の方に積み上げられているせいで部屋のスペース的には十分すぎるぐらいだ。
机の上には煙草のボックスがずらりと並んでいる。
セブンスターだ。名前は聞いたことがある。これって重いやつだよな、と桂は思った。

何もかもに銀八の匂いと生活が滲んでいて、頭がおかしくなりそうだった。

鏡がないので自分の新しい髪型が見られず、仕方なく慣れない短くなった毛先を触って想像するしかなかった。
(…似合わないんだろうな)
また明日、沖田たちにからかわれることを思うと、胃が少し落ち込んだ。
そうこうしている内に、キッチンからの音が止み、銀八が皿を持って戻ってきた。
卵料理だった。どうやら、創作料理のようだ。その匂いで、腹が減っていたことを思い出した。
二人して黙々と食事を摂る。食器の音だけが鳴る。
こんな体験は初めてで、桂は空気の重さを感じたが、いただきますとご馳走様の二言以外何も言葉を発しなかった。
純粋に、美味しかった。数分で簡単に作った料理とは思えなかった。



「…おいしかったです」
「そう」
「料理、するなんて意外です」
「まあ、ガキんときからずっと弟と二人暮らしだったから」
「…弟さん、いるんですか」
「うん。双子の、ね」



そこで会話は途切れたが、このとき桂は初めて銀八と会話したと言っても過言ではなかった。
短いものだったが、桂にとっては十分すぎるほどだった。
初めて知ることばかり。弟が、それも双子の弟がいることも、料理が上手いことも。
それらは、他の銀八と仲のいい生徒なら誰でも知っている情報なのかもしれなかったが、
銀八と「仲がいい」とはとても言えない関係の桂にとって、どれもが新鮮で、ちょっと奇妙な感じがした。



「髪」
「え?」



銀八はそう唐突に尋ねてから、例のセブンスターの箱から煙草を一本取り出し、火を点けた。



「…はい。小さい頃から、ずっと長かったです」
「何で?」
「切っても直ぐに伸びるし…昔少し剣道をやってたこともあって。
あと、叔母が…俺にこういう髪型させるの、好きで」
「こういう?」
「…というか、女の子の格好させるのが好きで。小さい頃の話ですけど」



ああ、と言って銀八は笑った。そしてまた煙草を吹かすことに集中し始めた。
それにしても穏やかな時間の流れに、桂は妙な気分に陥った。
勿論、銀八とこうしていること自体が奇妙であって然るべきなのだが、
その非日常に違和感を感じていない自分に、寧ろ違和感を感じていた。
殴り倒されて髪を引き摺られたのが何日も前のことに思え、また自分に虐待をした人間と、
髪を揃えて飯を出した人間とは全く別人のようにも思えた。

本当に、妙だ。今日はいろいろなことがありすぎた所為かもしれない。


「んじゃ、俺も今度してもらおうかな、女装」


一本目の煙草を灰皿に押しつけて、二本目を取り出しながら銀八はそう言った。
変態、と桂は心の中で毒づいた。














































































「土方さん、灰」


沖田にそう忠告されるまで、土方は彼のお気に入りの、ヴァージニアスリムが半分以上火に浸食されていることに気付かなかった。
おお、といって灰皿に煙草を押しつける間も、彼の気がかりは銀八の昼間の告白と、放課後の桂の奇行にあった。

タイミングよすぎるよな、いくら何でも。

土方は新しい煙草に火を点けた。
銀八が桂を嫌っているのは何となく気付いていたし、クラスメイトたちも恐らく知っていることであろう。
土方自身、学級委員長である桂小太郎のことはよくわからなかった。
生真面目で秀才、冗談の通じない堅物。そうかと思えばいきなり意味のわからない言動。
最近では、教室で急に嘔吐したり、今日はホームルーム中に切れ切れと言われ続けてきた長い髪をばっさりと切り落とした。
そして土方は昼休み、呼び出された国語準備室で銀八が桂の長髪を嫌っていることを直接聞いた。
昔の女に似ているから、という理由で。
だが、そんなことを憂いたところで仕方がない、ということも明らかだった。
確かに銀八のあの後の憤り様は異常だった。
しかし、ホームルーム中にいつもの冗談を真に受けられ、あのような奇抜な振る舞いをされては怒るのも当然だ。
大体、別に何が問題になったというわけでもなく、この先も問題など特に起こるとは思えない。
ただ、小耳に挟んだ銀八の本音と今日の桂の行動が重なって、違和感を感じているだけだ。
だから、これ以上気に病んでもしようがない。
___ここまで来て、土方の思想は初めに翻る。堂々巡りでまた、煙草が一本無駄になる。
一緒に近場のレストランで夕飯を食べる沖田や近藤にも、そろそろ呆れられる頃だ。

(お節介、ってやつか)

桂とは仲がいいどころか、寧ろ沖田とのこともあって険悪な雰囲気であるというのに、
ここまで気にする自分の性質に土方は苛立った。
煙草が一箱空いたところで、土方はようやく思考を一旦停止した。




















土方やっと出せました…
土方は喫煙マナーいい方だと思う

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