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「もう、やめにしようぜ」


そう告げた俺の声音は驚くほどに乾いていた。
今まで何度も口にしようとしては、爛れて朽ちていった終局の言葉。
いざそいつに音を与えると、あんまりあっさりしていたので拍子抜けだ。

桂は律儀に煎餅布団を畳んで、畳も変色しているような安い宿から今し方の行為の痕跡を消しているところだった。
少しだけ冬の気配を孕んだ空気が、部屋に蔓延している。頭に残っていた酒も、綺麗に溶けて流れていく。


「…そうだな」


桂の返答は抑揚がなかった。ただ、そうだなと思ったからそうだなと言った、という感じを俺は受けた。
きっと此奴もわかっていたのだろう。そして少なからず俺と同じ気持ちでいたということだ。


桂は布団の皺を無意味に何度も伸ばしていた。その後ろ姿を、何を思うでもなく見つめる。
真っ黒な長い髪が陽光を浴びて光っている。少しだけ見える睫毛の先にも、光りは宿っていた。


 再会してから数ヶ月して、何度かこうして逢瀬を重ねた。大半は酒の力を借りた。
場所はまちまちで、今日のような安宿や、或いはその辺の茂みだった。
けしてこうなりたかったわけではなかったのに、そうするのが当たり前のように俺たちは身体を貪り合った。
そこには何があったのか。愛だとか情だとか、そんな繊細なもんはひとかけらもなかったような気がする。
桂が居る、だから抱く。そんな単純でわかりやすい衝動に任せていた。



「じゃ、行くわ」

「待て待て宿代は置いていかんか」

「ケチくせーないいだろ。今月仕事少ねーんだよ。原チャの修理代とかもあるし」



桂が溜息を吐くのが聞こえたが、俺はそのまま襖を開け、部屋を出た。
何も言ってこない、追ってなどもちろん来ない。

生臭い縁の切れ目なんてこんなもんか。
俺はそう思いながら、宿を出た。
いつもの原チャリは源外のじーさんのとこに修理に出していてないので、重い腰を引き摺りながらきな臭い道を砂利を踏みながら歩く。

肌や骨には、刻まれたように桂の感触が残っているというのに、俺はもう二度と桂の身体を思い浮かべることはないのだなと思うと妙な感じがした。

特に何が厭になったとか、そういうのはない。
ただ、常々こいつと俺との関係は間違っているのだという事実だけがつきまとっていた。
桂を抱くとき、俺は棄てた過去を永遠に彷徨う。棄てたものの残骸を必死にかき集め、喰らう。
枷が重すぎて外した筈の昔の日々に、自ら望んで足首を差し出すことは、俺には苦しかった。
桂に対して未だそういった類の感情を持つことは、怖かった。結局俺は棄てたつもりで棄てきれてはいなかったのだ。
もう、意味もなく殺戮に明け暮れることなど死んでも御免だった。
だが、桂と関係を持ち続けることは無意味な戦争を続けることと同等である。
何故って、死んだ筈の鬼がほんの一瞬だが、彼奴を前にすると蘇生するのだ。不思議なことに。
声が聞こえる。桂桂桂かつら、と必死に呼んでいる声がする。
おぞましいほどに、鬼は彼奴を求めてやまない。唯一鬼を受け入れてくれた、最も鬼に近い人間を。



「銀ちゃーん、今帰ってきたアルか」


万事屋に着くと、神楽が目をこすりながら寝間着姿で出迎えた。
俺は途端に、自分の体臭を気にする。汚れた過去の匂いがこびりついていやしないかと、不安になる。


「また朝まで飲んだくれてたアルな。ほんっとに駄目な大人アル」

「あーはいはいすいまっせーん。酢昆布買ってくるから見逃してくんない?ついでにじーさんとこに原チャ取りに行ってくっから」
マジでか、なら許してやらんこともないネ、と神楽は笑う。俺もつられて笑う。
その内に新八がやってくる。穏やかで凪いだ日常が、狭い家にはあった。心の芯の部分がようやっと解れて、俺は安堵する。

そうだな。

不意に、桂の呟いた言葉が蘇った。
最後まで彼奴が何を考えていたのか、わからなかった。
だが関係を清算したとは言え、完全に縁が切れたわけではない。
神楽や新八も何だかんだと言って奴に懐いているし、彼奴もまたこの家に来るだろう。
何の変哲もない日常の影を纏って、俺との間には昔から妙な関係などなかったかのように振る舞って。
時が来れば、彼奴の考えも聞けるだろう。
時間さえ経てば、本当に俺と桂の間には綺麗なものしか残らなくなるだろう。
その時になれば聞かずとも、答えが出るかもしれない。

そうだ、これでいい。これでいいんだ。



冬の気配がする。もう、鬼の声は聞こえなかった。






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