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「…お茶です」
新八は恐々その白い珍客の前に茶を差し出した。
最後にこのお化けの姿を目にしたのはもうかなり前で、今は不在の飼い主もそれと同じぐらい見かけていなかった。
一体何をしにこんなところまでやってきたのか全くわからずに、俺は神楽と新八とひそひそ腹を探っていたが、
ペンギンお化けは一向に反応を起こさない。ボードの一枚も出してこない。
そこに丁度電話が入り、俺は千載一遇のチャンスとばかりにいそいそと電話口に出た。
電話の内容は幸いなことに依頼で、相手の男は鍛冶屋の村田といやに馬鹿でかい声で名乗った。
「おーう俺ちょっと出るわ」
後ろから新八たちの詰る声が聞こえてきたが、無視した。
このへんにある鍛冶屋といえば二、三軒なので、俺は適当に原チャリを転がした。
何はともあれ、あの得体の知れない客から逃れられたことに心底ほっとした。
今度あいつの所有者に会ったらぶん殴っとこう、とも思った。
「うるさーい!!」
アドバイス通り、村田鉄矢の耳元で大きな声で語りかけたらぶん殴られた。
まったく何つー面倒臭い依頼人だよ。兄貴は偏屈な刀馬鹿、妹はいい歳して人見知り。
しかも、妖刀の回収なんていう手間のかかる仕事を任されてしまった。
まずは情報収集だが、こんなとき一番そういう不穏な動きに詳しそうな長髪野郎は居場所が分からない。
かと言って万事屋に戻って白ペンギンに訊ねるのは気が引けた。
仕方なくぶらぶらと当てを探っていると、以前一悶着あったリサイクルショップの近くまで来た。駄目元で調査に向かう。
もしかしたら案外あっさりと売りに出されているかもしれない。
店は相変わらず閑古鳥が鳴いていて、店員の姉ちゃんは相変わらず人を寄せ付けない雰囲気で煙管を吹かしていた。
何だあんたかぃ、と言いつつも、妖刀のことを訊くと妙な収穫を与えてくれた。
俺も風の噂でちらりと耳にしたことがある。
最近横行している辻斬りの刀が、生き物のような動きをしていたと言う。
確かに尋常ではない刀のようだし、今のところそのぐらいしか調べようがないので、俺はとりあえずその噂を聞き込みに回ることにした。
かぶき町の連中はどうやら噂好きなようで、瞬く間に旬な話題であるその辻斬りの情報は集まった。
とは言え所詮は噂で、あちこちで違う話を聞かされる羽目になり、真偽のほどは今ひとつわからなかった。
辻斬りは主に日が暮れてから現れ、特に被害が集中しているのがかぶき町の真ん中にある橋の周辺らしい。
標的は完全に無差別で、遺体には右袈裟に異常なほどに抉られた傷が付けられているとのことだった。
そんな基本情報は殆どぶれがないとして、町の人間は辻斬りが誰の仕業かという推測で盛り上がっている所為で、根も葉もない犯人像が多々聞かれた。
意外とただの浪人か下手人だとか、プロの殺し屋だとか、はたまた政府の回し者だとか。
人斬りのプロなら、岡田似蔵が有力ではないかとのことだったが、奴はあれ以来とんと姿を見せていない。
あり得ない話ではないが、根拠はない。
「めんどくせぇ…」
一向にまとまらない話に飽き飽きした俺は、辻斬り本人に会って確かめることにした。
もし其奴の持っている剣が妖刀なら、タダでとはいかないだろうが早いとこ回収できる。
報酬は弾んでくれるらしいので、先月風を感じ続けないと死ぬとかいう迷惑な天人の所為で一旦直った原チャリの修理代を
再び払う羽目になったおかげで今月特に金欠の俺は、さっさと片をつけたかった。
パフェも最近ろくに食べていないのだ。
日が暮れ始めた頃を見計らって、例の橋まで向かった。
今夜現れる確証などなかったので、長期戦は覚悟だった。
気晴らしに周囲をふらついていると、行灯片手にパトロールをする同心の姿がやたらに目に付く。やはり厳戒態勢が敷かれているようだ。
路地裏に入って一息吐こうと思っていた矢先、意外すぎる組み合わせが向かってくるのが分かった。
闇に浮かび上がる真っ白な胴体は、遠くからでもあのペンギンお化けだということが哀しいほどわかり、そしてその隣にはパシリらしき人物。
攘夷党の下っ端かと思えばそれは、何とうちの従業員だった。
俺はばったり会って気まずい空気になることを察知し、とりあえず近くにあった手頃なゴミ箱の中へ潜り込んだ。
パシリ(新八)は、何かを命じられ深いお辞儀をしたあと踵を返して今来た方向へ脱兎のごとく走り出していった。
後に、焼きそばパンを買いに走らされていたのだという事実をゴミ箱の中で知る。
「辻斬りが出るから危ないよ」
それまでの茶番をひっくり返したのは、聞き覚えのある低い声と、血しぶきが豪快に上がる音だった。
来た。
俺は驚く反面、今日ここにのこのこと現れてくれた辻斬りに安堵した。これで長期の張り込みは逃れられたわけだ。
そいつがペンギンお化けに斬りかかったと同時に、ゴミ箱の蓋を思い切り開ける。
かぁんと小気味いい音がして、攻撃を避けることができたと悟る。
「どっかで見たツラじゃねぇか」
「ホントだ、どこかで嗅いだ匂いだね」
予想的中、とまではいかないが、辻斬りの犯人は岡田似蔵だった。
相変わらず鼻に向かって何かシュポシュポやっている。俺はさして驚いてもいなかった。
むしろ新八の驚きの方が強いらしい。
聞いてもいないのに野郎はペラペラと妖刀についての情報を話してくれた。
矢張り此奴の持つ刀が、例の「紅桜」らしい。話が早い。
此奴とは以前やり合っていて殺しの作法も知っている。
いくら妖刀とは言え使い手が此奴ならことは簡単だ。
「桂にアンタ、こうも会いたい奴に会わせてくれるとは」
桂。
思いもよらぬその名前を聞いた刹那に、面白いほどに血がざわめくのを感じた。
ざわざわと身体を流れる血液が騒ぎ始め、一定だった速度や方向を見失う。
桂、桂だと?
桂をどうした、と聞きただしたい衝動を無理くりに押さえ付ける。鎖を必死で繋ぎ止める。
俺の代わりに新八が、桂さんをどうした、と聞きたかったことと全く同じ質問をしてくれた。
そしてのうのうと、似蔵は斬っちまった、と返す。心底満足したような声で。
胸の底辺からぐらぐらと、粘液のようなヘドロのような薄暗いものが溢れ始めるのを感じたが、俺の理性の一片がそれを何とか抑えた。
冷静に考えてみろ、どう考えても口からでまかせだ。
俺が比較的楽に勝てたような技量しかない相手だ。
剣術、身のこなしどの点に於いても俺と互角かそれ以上である桂がこんな雑魚に首を獲られるわけがない。あり得ない。
どうにか冷静さを欠かないように、できるだけ声音を抑えて飄々と否定した。
こんな出任せに少しでも動揺した、と勘づかれたくはなかった。
「怒るなよ」
怒ってねぇよ、と心中で吐き捨てた。しかしそれは自分への嘘であるということは、分かっている。
「ほら、せめて奴の形見だけでも返すよ」
似蔵がふところから思い出したように取り出したものは、髪の束だった。
視覚は完全に覚えている。
その髪は、紛れもない。女のでも他人のでもない、桂の。
桂の髪だ。
精一杯の制御はその瞬間に外れ、急激に腕も足も自分のものではなくなっていく。
例の粘液と化した感情が、全ての器官を司っていく。喉までせり上がり、こめかみをきんとさせる。
目が、眩む。
駄目だ。来るな。
そう思ったのが最後だった。気付けば俺は勝手に木刀を抜き、似蔵に斬りかかっていた。
それも脅しや警告の枠を越えた、渾身の力で。
殺せ殺せ殺せ。鬼が、騒ぎ立てていた。高笑いしながら。
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