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ああ、白い。

痛いぐらいに白い。

この白は、あいつの白だ。
俺のじゃない。








ここがどこだかわかる。瞼の裏だ。
俺は覚醒などしていない。
戦争の時、仲間を沢山失った晩に、特に俺自身負傷しているとき、よく来たところに、もう二度と来ないと思っていた奴の住み処に来ている。
目を凝らすと、ほら、いた。
背景に溶け込んで見えないほど、同じぐらいに白い鬼。
鬼は俺を見てにやにやと笑っている。
決別した筈の因縁の敵と再会したときに、よく人が見せる表情だ。鬼はまるで人間みたいに嗤う。




「ヅラがやられたよ」


「へぇ、誰に?」


俺がそう告げると、鬼は悪だくみを聞きつけた小僧のような、好奇心で一杯の笑みを浮かべた。



「言ってもわかんねぇよ」



「どうせお前がお情け掛けた奴だろ」





__後悔しているか?以前俺とやりあったとき何故殺しておかなかったと
__俺を殺しておけば桂もあんたもこんな目には遭わなかった
__全てあんたの甘さが招いた結果だ、白夜叉




こんな状態だというのに、似蔵に言われた言葉がくっきりと鮮明に、鬼に導かれて蘇る。
耳に彎曲し、脳に木霊する。
俺の目の前には相も変わらず俺と同じ姿かたちの白い化け物がいる。
血に飢えた匂い。消えろと願うのに、一向に、寧ろ鮮烈に。

俺は後悔しているのか?彼奴をあの時殺さなかったのは俺が甘いからか?
自問自答を繰り返しても、何も分からない、今はただ真っ白で、耳も目も痛くてたまらない。



「…だったら何だよ」


「まぁいいや。死んだの?」



鬼が当たり前の質問をする。その返答にさえ俺は窮する。

ヅラは死んだのか?あの堅物で頑固で、毎日肉刺がつぶれるほど剣術に明け暮れていた桂は死んだのだろうか?
今はただちょっと居ないだけで、またひょっこり顔を出すんじゃないか。
嗚呼、だけど__髪が。


「わかんねぇ、けどたぶん」


俺はようようその一言だけを返した。
白の空洞に全部呑み込まれてしまい、その言葉はひどく乾いた音がした。
すると白夜叉は、ふぅん、と興味なさげに返した。



「残念だね銀時」


「何が」


鬼はにやりと妖しく笑む。



「お前小太郎を手にかけたかったんじゃないの」


「は?」


「小太郎を殺したかったんでしょもうずっと」


確信をついたような、愉しげな顔で言う。
何を言っているんだこいつは。鬼の戯れ言なんぞに耳を傾けるな。
俺が桂を殺したい?



「それはお前だろ」



「うん、でも銀時だってそうでしょ」



俺が桂を殺すなんて、そんな悪夢みたいなことあってたまるか。俺は此奴じゃない。

否、此奴は元々俺だったのか?俺は本当に、桂を殺したいと思ったことはなかったか?
昔はどうだった?

お前は誰だ?その前に、俺は誰だ?俺は此奴、なのか?もう、わからない。
桂は、桂は何処だ?本当に居ないのか。死んだのか。殺されたのだろうか。誰に、俺に?


「何で俺がヅラを殺さなきゃなんねぇんだよ」


鬼は、至極当たり前のことを聞かれたように嘲笑する。


「小太郎の命を奪えるんだぜ?彼奴が生まれ落ちたのは勝手だけどその命を奪うのはお前の感情論ひとつにしか懸かっていないんだ」




どう思う?
掌に汗が滲むのを認める。
桂の息づいている脈打っている鼓動している全てを、俺の感情ひとつで奪い去り葬る。
けして閉じ込めてはおけない彼奴を、この身体と神経の末端に閉じ込め永久に外に出すことはない。
そのときに、彼奴は俺のものとなる。
違う。何を考えている?だけどこの悔恨は何だ。
それを易々と、桂という人間の表面しか知り得ない一端の人斬りがやってのけたという事実への苛立ち。
それをしていいのは俺だけだという、根拠のない思い込み。



「俺はねわかるんだ、だって俺とお前はそっくりだから」



今の思考全てを綺麗に読んだように、見透かして鬼は嗤う。俺は足掻くが、その声さえも震えている。



「お前と俺は全然似ちゃいねーよ」



其れはそうであってほしいという願望。



「俺は小太郎を殺すことを考えると勃っちまうよ。


銀時、お前もそうだろう」




色彩を失ったと思わせるほどの白い世界に一片、黒を認める。

鬼の白装束の懐から出されたその黒い束は、髪。
その髪は、紛れもない。他の人間のでも女のでもない。


桂の髪だ。


気付けば俺は目の前の存在に斬りかかっていた。
どうして腰に折れた筈の木刀があったのかは知らない。
ぎちぎちと軋み合う一度死んだ木の刃と、鈍色に光る鬼の真剣。



「黙れ、何度も同じ事言わせんじゃねぇ」



あれ、これ知ってる。どこかで同じことがあった。
ああ、そうか俺は桂を殺した野郎に同じようにして斬りかかった。
心のど真ん中を暗闇にもぎ取られたようなあの感覚。あの時も、考えることを棄てた。



「__やめようぜ、俺はお前より弱いんだ こんなこと無駄だよ」



鬼は口端を上げて言った。意味もわからずに剣を持つ手を緩める。
今俺を動かしたのは殺意か何なのか、剣を納めると同時にうやむやになっていく。



「でもほら、やっぱり銀時は俺にそっくりだ そうやって小太郎のこととなるとなりふり構わなくなるところだとか」


「いい加減にしろよ」


だけど、俺は彼奴の髪を見たときに何を思ったんだろう。
略奪されたような、先を越されたような、兎に角悔恨。
その髪は俺のだ、と思ったのだけは確かで、おもちゃ取られたガキみてぇだった。



「小太郎が自分のモンだと思ってるところとか、他の奴に触れられただけでそいつのこと殺したくなったりとか」

「黙れ」



これ以上言うな、おかしくなる。鬼の言うことが全部正しいように聞こえてしまう。

抉るな、俺の心底を。そこには入ってくるな。違う、俺は、少なくとも今は。

だから、だから彼奴を手放したのに。だから彼奴から離れたのに。其れを忘れるために、俺は。



「銀時、認めろよ」


「黙れって!!」


叫ぶ声が耳から出て顔中を多い振動する。
鬼が放つのは俺の魂のひとかけらなのだと、否が応でもわかる。

封じなければ俺は築いた世界全てをぶち壊して仕舞うから。

それに気付いたから、あの時だって別れたのに。


どうして今になって、どうして。



「お前は俺に、そっくりなんだ」



そう放つ白夜叉の背後。
鮮やかに一部分だけ白を染める黒。
桂が俺を見ていた。亡霊のように、幻影のように。

手を放さなければ。でも、掴まなければ。

もう一度手を放すために、彼の手を掴まなければ。

行ってしまう。桂が行ってしまう。

今度こそ俺の中から消えてしまう。

行くな、そっちに行くな、行かないで桂。


「…ヅ」


途端に、暗転しまた別の光りが見えた。
這い出るようにして瞼を開ける。


「あ、気がつきました?」


その先には、求めた黒い髪をした別の人間がいた。
それが桂ではないことに、少しの寂寞と焦燥、そして日常の戻る安堵。




白い鬼は未だ巣くっていた。そしてそれは、俺が生きる限り棲み続けるのだということに、今更気付いた。



その時に、玄関の呼び鈴が鳴った。








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