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手向けになる、とでも思ったのだろうか。
村田鉄子が玄関先でどもっているときには既に、本題の察しは付いていた。
紅桜という剣の正体、そしてそれが如何に禍々しいものであるのかということも。流石に高杉が絡んでいるとは思わなかったが。
そして俺は話を聞いている間、彼女の厚かましいともとれる依頼を受ける気でいた。
微塵も躊躇することなく、受けよう、と。
それは性分から、と言ってしまえば話は早い。
目の前で窮地に立たされている兄思いな彼女を放っておけない、高杉が行おうとしている惨事を黙殺などできない。
英雄気取り、そう言うのも早い。しょうがない、俺は一度英雄と呼ばれたのだ。高杉も、かつてはそうだった。
妙に借りたうさぎ柄の傘を無意味に回しながら鍛冶屋へ向かう。
俺が止めてもそうするだろうということを理解してくれたのは、単に俺がそういう人間だからという理由だけであることを祈る。
連れがやられて頭ん中ぐちゃぐちゃなんだよ、と言ったときに、妙の表情が少しだけ変化した。
あの場に於いては、それは上手く断る口実でしかなかったのに、混ぜた真情を悟られたような気がした。聡い女だ。
向かう戦場に、俺は一つの希望を見出している。
生きているのではないか。
もしも、万が一生きていたとすれば、間違いなく其処にいる。
あいつが生きているという可能性の方が限りなく低いのに、俺の心は少しの安寧と期待に滲んだ。滲んでしまった。
もしかしたら、もしかしたら。
鉄子の話を聞いたときに真っ先に浮かんだのは、夢の中に出てきた桂の姿だった。
破滅寸前の世界のことでも、萎れている鉄子のことでもなく、桂のことだけだった。
手負いで戦場に向かうというのに、俺の足は逸っている。下手をすれば死ぬかもしれないのに。
もし桂が死んでいて、俺も死ぬのだとしたら、どっちにしても地獄の入り口で会えるんだろうか。
俺もあいつも、この世の善悪の基準が正しいのであれば、天国には行けないだろう。
会ったら何を話そう。
今度こそ俺の傲慢さを侘びようか。
それとも、聞けなかった奴の本当の気持ちを聞いてみようか。
雨の音は、ひたすらに戦争を思わせる。それさえもどこか、ノスタルジックだった。
へらっと手を振って、何やらメンテナンス中の刀の化身と対峙する。
久々に手にする真剣は重い。しかし掌は感触を覚えていた。
治ったはずの肉刺まで浮き上がるかのように、こいつは俺の手にしっくりと馴染む。
似蔵が俺に斬りかかり、派手な音が船の上に響き渡る。
前回よりも数段えげつなさを増した武器は、最早似蔵の一部と成り果てているようだ。
これは、素面じゃ片付かねぇ、と俺はたかをくくる。
どうするよ。ここはひとつ、休戦と行くか?化け物。
頭の中で語りかける。誰でもない、自分にだ。
自分の中に確かに存在する魔窟。真っ白な穴に棲む、怪物だったころの記憶に。
「ククク…ハハハハハハ!!」
似蔵が、手応えのありそうな好敵手を見つけ満足そうに高笑いする。
其れに煽られたわけでもないが、俺も奴と同じような気分になる。
久々に、満足に暴れられそうだ。護るものも今はない。
ただ、目の前の敵を倒すことだけに集中できる。
そんな戦い方は、本当に久しぶりだ。
似蔵の攻撃を受けては返し、返しては受ける。
次はどう出る、なんて頭脳戦はお断り。倒す、ただ、此奴を倒す。
計算されつくした機敏な剣術など、ヅラの十八番だ。奴に任せておけばいい。
ああ、また思い出した。ヅラは此奴に殺されたかもしんねぇんだった。
ならば尚更この化け物、生かしてはおけない。
お前が奪った彼奴の生命を、返り血として俺に返せ。浴びさせろ。
そうして俺は記憶をこじ開け、お前を潰すだろう。一度限り、鬼と相容れられるだろう。
興奮する。戦いの匂いにただただ興奮する。似蔵の攻撃を避け、腕に乗り移った。今だ。この一撃でお前を殺す。
死んで侘びろ、俺に一度でも楯突いたことを心の底から後悔しろ。
桂を手にかけたことで、俺の中の鬼を呼び覚ました。それが、所謂、お前の甘さだ。
桂という存在が如何に俺を揺るがすか、知らないだろう?
彼奴は俺の人間らしさをいとも簡単に壊すんだよ。一度殺した鬼さえも、起こしてしまうほどだ。知らなかっただろう。
懺悔しろ。同じ化け物同士なら、俺に敵う奴などいない。
ごおおおという轟音に、俺ははっと我に返った。
似蔵の雄叫びに気を取られている内、巻き込まれてしまう。
くそ、と思ったときには遅かった。鬼の手は離れてしまっていた。
「これ以上その剣で、人は死なせない!!」
遠くから聞こえた声で、ぼんやりと覚醒を認識する。鉄子だ。何故か神楽や新八もいる。
寄って集って俺を助けようとしている奴らを見て、ああそうだ俺は死ぬわけにはいかねぇんだった、と正気に戻った。
また一際轟音が鳴り響く。妹に振り下ろされた剣を、鉄矢が庇ったのだ。
その時に、光りが差したように頭が澄み渡った。
反射的に、再び振り下ろされようとしていた剣を阻んだ。
「見てろ、テメーの言う余計なモンがどれだけの力を持ってるか___」
詭弁だ、とは思うのだ。朦朧とする頭でそれだけは分かる。
俺を動かしている一番の「余計なモン」を、俺は二度も棄てたから。
どれだけの力を彼奴が持っていたか。ここまで這いつくばって紅桜と対峙できるその原動力は、俺が棄てたものだった。
しかと目ン玉に焼き付けな。
俺が瀕死の村田鉄矢に発した言葉は俺自身に対しての言葉でもある。
めんどくさいから、棄てた。そういうんじゃないけど。或いはそれよりももっと手前勝手な理由だけれど。
生きてても死んでても、次に会えたならもう目を背けない。
「おーう邪魔だ邪魔だぁ!万事屋銀ちゃんがお通りでぃ!!」
天人だらけの渦中に担がれながら押し入る。
万事屋の従業員は時代劇でも気取ったかのように、どこか愉しげだ。
それを見ていると、歩く活力にさえなる。
「いてて…元気でいいな、お前らはよ…」
どしゃあ、と何かに斬られて天人が頽れた。
そこに、痛みで霞む視界の中、ひとつ、陰を認める。
長い髪はなくなってしまっているけれど、凛と放つ空気が嗅ぎ取れる。
まるで一本の桜の木のように、雄々しくも優雅で、生命力に溢れて、其奴は確かに立っている。
生意気な口ぶりも変わらない。
ああ、そこにいた。
此所が地獄の入り口でも構わない。幻想ではない桂が其処に立っている。
幻想ならば髪は長いままのはずだから。
あいつの短い髪なんざ拝んだこともないのに、俺の悪い頭がそんなもの創り出せるわけがないだろう?
言いたいことは沢山ある。聞きたいことも沢山ある。
よく考えたら関係に終止符を打ってから会うのは初めてで、本来なら気まずくなってもおかしくない。
だけど、生きている。俺もお前も生きている。
だったら何とでもなるだろう。何度でもやり直せるだろう。
当然のように背中を合わせ、言いたいことを全て胃袋に押し込んで、代わりにこう聞いた。
「…よぉ、ヅラぁ どうしたその頭失恋でもしたか?」
「黙れイメチェンだ」
少しだけ、桂が笑った気がした。
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