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「何、ほんとに誕生日に一日バイトしてたわけ」

精一杯軽口を叩いたつもりが、思いがけずずっと無理矢理っぽくって、自分はこんなに不器用な男だったのかと愕然とする。
油とスープと労働で汚れた桂は俺の姿を認めると、急にぐるりと後ろを向いてしまった。
一瞬心を引っ掻かれたみたいに感じる。

うわ、どうしよ、やっぱ呆れられてる?

だがそれも自業自得だ。神楽に説教されてから(あいつは本当にボイコットを起こし、ここ一週間と少し、全く練習にならなかった)
比較的すぐに俺は思い直したのに、謝ろう、連絡を入れようと何度も思ったのに、どうしても携帯を開いて何度も掛けた番号に発信することができなかった。
虫けらを潰すより微量の握力で、たったひとつのボタンを押せば完了する至極簡単なことだっていうのに、できなかった。
要は、桂が俺の態度に見切りをつけて、お前とは別れて例の男と付き合う、とか言われたらどうしようマジ立ち直れねぇ、
もし浮気がやっぱり誤解でもお前なんかもう知らん、とか言われたらほんとどうしようとか妄想が妄想を呼んで、尻込みしてしまったのだった。
浮気されてても、それでもやっぱり好きだからって言おう言おうと思ってもいざ桂の声で告げられる別れを脳内で再生すると泣きそうになった。
無理、そんなんほんとマジで絶対無理だとガキみたいにひとりで心の中でぐずっていた。


「…どうしたの、ヅラさん」

「ヅラさんじゃない桂だ」

「何でそっぽ向いちゃうわけ」

「…もう、いいのか」

「え」

「…もう、俺の顔見ても大丈夫なのか」


桂は項垂れてて、ちょっとだけ肩が震えてた。そんなこと、ずっと気にして。
でも、俺の言葉がそんなに大きな傷を残してしまったんだと思うと、今すぐ抱き締めて謝り倒したい気分になった。
でも、俺は「…馬鹿。こっち向けよ」としか言えずじまい。馬鹿はお前だ馬鹿。
桂はおずおずと前を向き、それでも眼は伏せていた。長い睫毛を連想させる顔の翳り。
だけど、睫毛だけが原因じゃないことぐらいわかる。俺のあの最低な態度の所為だ。


「俺が、さ。誕生日には会いに来るかもー、とか、ちょっとも思わなかったの」

「……思わないようにした。来なかったとき、嫌だから」


桂の声は小さく、いつもの精錬なイメージがなかった。か細くって、まるで子犬のようだ。
距離も詰められず、謝罪もできず、気まずく重い空間が泥よりも遅い速度で流れる。


「家行ったんだよ。合い鍵で入って。したらさ、いつも壁に掛けてあるそのエプロンなかったから」


俺は聞かれてもいないのに、此所に来るに至った経緯を具に説明した。桂は何も言わない。
俺だってこんなこと言いたいわけじゃあない。だけど遂に、桂から別れよう、と言われるんじゃないかって不安が俺を圧迫した。
家に入ったときも、浮気の物証なんかを出来るだけ見つけないようにきょろきょろ上の方ばかり見ていた。
沈黙に耐えかねたのか桂がすっと息を吸い込み、思い立ったように俺の方をがばりと仰いで捲し立てた。


「銀時、すまなかった、こないだのあの、あれは俺の友達の高杉晋助で、軽音楽部で授業もろくに出ないどうしようもない駄目人間で、
近くに住んでて久しぶりに会って、それで、その、彼女と喧嘩をして、俺の家に無理矢理上がり込んで酔っぱらって、ジャックダニエル、
俺の大事なステファンで飲んで、お前は浮気、俺が、浮気されてるんじゃないかって、その」

「ちょ、ストップ!!何!?全然わかんねーんだけど!落ち着け!」

「た、高杉は、俺が浮気されてるって。それで、電話が、彼女からだと思い込んで、一言言ってやる貸せって…違うって言ったのに」


浮気?何で俺が浮気してるだなんてそいつは言ったんだ。でもまあとりあえずそんなどうでもいいことは置いておいて、だ。


「あのさ、つまり、ヅラは浮気してないってことでいいの?」

「してない!するわけないだろ!俺はお前に会いたいって、俺はお前が、痛くて、辛いけど、でも好きで…好きで」


言ってることは支離滅裂で整理しかねたが、ともかく、俺の一番知りたかったことは何とかわかった。
桂は俺が好きで、浮気なんかしてなくて、全部誤解だった。
心底安堵した俺は、その場に思わずへたり込んでしまった。身体中から力が抜け落ちて、アメーバにでもなってしまいそうだった。


「ぎ…んとき?大丈夫か?熱でもあるのか」

「…よかった〜…」

「え?」

「ごめん。…ごめん、ほんっと、ごめん、殴っていいよ…ごめん」


自分の馬鹿さ加減に今回ばかりは本気で腹が立つ。自分で自分を許せそうにもなかった。
桂は浮気なんてしてなくて。まだ、俺を好きでいてくれた。


「…殴らない。だから、これ、一緒に飲もう」


桂は一升瓶を軽く掲げて、何週間かぶりの笑顔を俺に向けた。俺もつられて情けなくへらりと笑ったが、どうしてかちょっと泣けてきた。






























俺たちは一升瓶を二人で一緒に持ちながら、湿気の多い梅雨の夜道を桂の家まで歩いた。
お互いに誤解が溶けた俺たちは、飽きることなく話した。
桂に聞いてもらいたいこと、桂から聞きたいこと、実は山のようにあって、家までの道が一瞬に感じられた。


「誕生日おめでと」

「ありがとう」


焼酎を水で割って、俺はグラスと桂はお気に入りのステファン柄マグカップで乾杯した。
そのときにようやっと祝いの言葉が言えたが、残念ながらプレゼントは用意していない。フられたらやり場に困ると思ったからだ。


「ごめんな、プレゼント。今度渡すから」

「ああ、別にそんなものいつでもいいぞ」


桂は目尻に皺を寄せてにっこり微笑んだ。
その顔がたまらなく可愛くていじらしくて、今更ながら桂を失わずにすんだことを心から感謝した。今なら神や運命の存在を信じることもできる。

こたつ机の上にはさっき寄ったコンビニで買ったつまみの柿の種やクラッカー、アイスとあと小さなショートケーキがふたつ。
誕生日のごちそうと言うには地味だが、桂は楽しそうだった。


「…そういえばさ、何でそのダチは俺が浮気してるとかふざけたこと言ったわけ」


桂の告白からずっと気になっていたそのことを、酒もいい感じに回ってきたのをいいことに尋ねた。
すると、桂はぴくっと肩を震わせて酒をまた一口啜った。


「……俺が、銀時と、してないから」

「してないって何を?」

「性交渉」


桂の放った意外極まるその単語に、俺の口はぶはっと勢いよく酒を吹き出した。
性交渉ってお前、どこの保体の教科書だ、とか思いつつ、桂もそいつを懸念してたのかと気付いて、柄にもなくドキドキと心臓が脈を打った。
まともなコメントも返せず口を拭う。じゃ、今からする?とか軽口を叩けるほど、まだ俺は酔っていなかった。


「あ〜……でも、それはアレだよ、ほら」

「銀時は、…したいのか?」

「…そりゃあ」


思わず本音が出てしまった。口が滑る、とは正に今のことを言うのだろう。
だって、したいもん。そりゃ、したいに決まってるじゃん。
今まで生きてきた中で、自分で言っちゃ何だがそこそこに恋愛経験も積んだ上で、最高に好きになった相手と繋がりたいって思うのは自然なことだ。
だが俺たちの間には「同性」という大きな壁がある。
好きになってしまったなら性別は関係ないと言えど、セックスはまた別問題だ。
どっちも未経験で、どうすればいいのか右も左もさっぱりわからない。気持ちよくさせてやれるのか、満足させてやれるのかどうかも。


「銀時」

「…ん?」


桂が目の前にすっと差し出したのは、何とコンドームと潤滑油代わりのローションだった。
俺はその品々に、とても混乱した。
それはもう馬鹿みたいに。ピュアな田舎娘が、いきなり大人のおもちゃを机の上に並べられたときみたいに。


「うわああああ!?なん…なんっだこれ!?」

「さっきこっそり買った。お前がアイスどれにするか悩んでる間に」

「あ、そうなんだ…っていやいやいや、え…えぇ?」

「嫌…か?」

「嫌じゃないけど、いや、あ今のは嫌だって意味のいやじゃないよ、接続詞的な…わけわかんなくなってきた」


今の自分はまるで童貞捨てるときのガキみたいだと思う。いや寧ろそれ以下だろう。
そもそも相手に催促されるまで焦れさせるなんて、男の沽券に関わる。いや、桂も男なのだが。
そこで俺ははたと気付いた。
そうだ、どちらも男の場合、タチネコを決めなければならない。
坂本は毎回タチだったらしいが、話によれば大方のゲイカップルはどちらの役割も果たすとか何とか…もちろん俺は掘られるのなんて真っ平だが、桂もそうだろう。


「あの、さ。俺、桂を抱きたいんだけど…いい?」


我ながら酷い。俺、もっとさらっと格好いい誘い文句使えなかっただろうか?
何だいい?って。だめって言われたらお前はどうする気なんだ。

 そんな俺のダサい言葉に、しかし桂は小さく頷いてくれた。
耳までタコみたいに真っ赤に染め上げながら、それでも覚悟を決めてくれた。
俺になら、抱かれていいって思ってくれたんだ。そのことに、また泣けてきた。
だったら俺も腹を決める。何が何でも、桂を気持ちよくさせてやる。もういい加減逃げない。
何だか決闘に臨むような気持ちで、俺は桂の真っ直ぐな瞳を負けじと真っ直ぐ見つめた。












シャワーを先に借り、桂をベッドの上で待っている間、気が触れそうだった。
緊張でどくどくと心臓が踊り狂う。ライブ前だってここまで緊張することは滅多にない。
必死で坂本に聞いた「体験談」を反芻する。しかしいざ実践となると、本当に上手くいくのかどうか不安だ。

とんでもなく長い間待っていたように思えたが、実際には15分ほどで桂はパジャマ姿で出てきた。
どうせ脱ぐのに…とか思ったが、真っ裸で出てこられても困るな、とも思った。
いつもは手コキとかした後に風呂入るからな、とか考えて、これからの本番が余計に誇張された。
桂は上半身裸で前屈みに座っていた俺の隣におずおずと腰掛けた。きっと桂は俺以上に緊張している。その証拠に、手が小刻みに震えていた。

暫く二人とも動かなかった。ステファン型置き時計が針を刻む音だけが、気まずい空気が充満する部屋に響き渡る。時限爆弾みたいにも聞こえた。
意を決し、俺は桂の方を見た。その気配で俯いていた桂も俺を見た。
湯上がりでほんのり桃色に染まった白い肌、見たこともない怯えた子犬のような表情。
睫毛の動きやちらちらと動く潤んだ眼球にさえぞくぞくと寒気を感じる。
同時に熱がぐっとこめかみあたりにまで迫り上がり、俺は桂の右耳にしっとりと濡れた髪をかけ、頭をくいっと引き寄せ、キスをした。
水気をたっぷり含んだ髪を弄びながら、少ししてから舌を口内に差し入れる。
ぴくりと桂の肩が跳ね、しかしもう次のときには舌が俺を追い始める。絡んで、まとわりついてくる。
首を曲げて、違う角度から桂の舌や歯列の裏を舐めつくして、舌先を吸う。


「ふ…ン…」


鼻にかかった甘い声が桂から漏れる。腕はいつのまにか俺の首に回されていて、それが必死に縋っているようで愛しかった。
その感情に比例して、俺の股間は履き古したリーバイスをぐっと押し上げ始める。
いつもよりも長くねちっこいキス。この先の官能を予感させるように。

自然に重心をかけると、桂も身体を傾け、ベッドに背を預ける。
キスしながら桂に覆い被さった俺の息は既に荒い。酸素不足という理由もあるが。
一度唇を離すと、粘度の高い透明な唾液が糸を引き、ぷつりと途切れた。


「はぁ、…は…」

「…桂…」


薄い生地の昔ながらのパジャマのボタンをひとつずつ、丁寧に外していく。
桂の上下する胸が、鎖骨が見える。上体を起こさせ、子供の着替えをするみたく献身的に上着を脱がせる。
赤く染まった上半身で、更に赤い乳首に舌を這わせると、少し驚くぐらいにびくっと桂は跳ね上がった。
そういえば、ココを攻めたことはなかったよな。
男の胸を弄るとどういう反応が返ってくるのかよく知らなかったが、桂はびくびくと何度も身体を反らしている。


「あ…ッ!あ、あぅ…」


女のを弄るときと同じ手順で、甘噛みしたり、くりくりと左右に回転させるように摘むと、桂は気持ちいいのか荒い息の隙間から高い声を控えめに出した。


「…きもちぃ?」

「…馬鹿、聞くな…」


…そうだよな。無粋極まりないよな、今の質問。察しろよ、って話だよな。ほんとどんだけ余裕ないんだ、俺。

今度は乳首の周りを円を描くように舐めながら、そろりと右手を下ろし、ゴムが緩みきったズボンの中に入れた。
既にほぼ完全に勃起している桂のペニスを、やんわり包むように愛撫する。


「やッ…!ぎん、それだめ…っんぅっ!」


乳首とペニス両方を攻められて、桂は驚いたように腰を引いたが、表情は恍惚としきっている。
俺もそれに煽られて、ズボンが張って苦しくなり始めたのでもそもそと脱いだ。
少し激しく扱くと、一際高い声を上げてすぐに桂は果てた。
いつもなら、桂も俺に同じことをしてストップだ。
正直俺は、桂に手でシてもらうだけでもの凄く満足できていた。
もしも、例の馬鹿な友人に言われて、俺を繋ぎ止めるために無理矢理したくもないセックスをしようとしているのなら、そんなのは絶対駄目だ。
俺は桂とセックスしなくたって、ずっと好きなままでいれる。
手にまとわりつく精液を感じながら、俺は未だ息の整わない桂を見て問うた。


「…マジでいいの?…もしさ、無理してんなら、俺は…」

「無理などしていない…」


桂は眼を背けて、紅潮した頬のまま苦し紛れに言った。


「したいんだ…銀時と」


その言葉は稲妻のように俺の脳天を裂いた。
何と言うか、愛情と呼ぶべきなのか興奮と呼ぶべきなのかは知らないが、理性を越えた何かの波がビッグ・ウエンズデーみたいに俺を呑み込み、
危惧していたことやら不安に思っていたことやらが全部どこかに飛んで行った。
ただ、純粋な衝動にのみ突き動かされる。抱きたい、と。






坂田きもちわるい
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