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コンビニの眠たい灯りが、もう真っ暗になった街の中で妙にくっきり浮かび上がる。
そういえば夕食の準備をしていなかったことに気付き、バイト帰りでスーパーへ行くのも辛く、諦めてコンビニのざる蕎麦を買うことにした。

二回生になって始めたラーメン屋のバイトは、想像以上にハードだった。
本当は蕎麦屋でバイトがてら本格的に蕎麦打ちを習いたかったのだが、近くに蕎麦屋がなかったので妥協して北斗心軒という小さなラーメン屋で働くことにした。
店主は幾松さんという綺麗な未亡人で、優しそうな人だと思っていたら大きな大間違いだった。
当初何人かいたバイト仲間は厳しさに耐えきれずすぐに辞めていき、今では俺一人しか残っていない。
人手不足で、忙しさに拍車がかかり、残業も当たり前になりつつあるこの頃、まともに夕飯も食べれていない。
正直賄いがラーメンばかりなのも、蕎麦好きには酷だった。
嫌なら辞めろと幾松さんは言うが、一番疲れているのは彼女だということは承知しているので、今のところ辞める気はない。

それに、身を粉にして働いていると、色々と気が紛れた。


気がつくと、やはり俺は雑誌コーナーにいる。
そして、手当たり次第に表紙に「YZY」とある音楽雑誌を見つけては、インタビュー記事や特集記事を読む。
既に家にあるものばかりなのに、何故か読んでしまう。
そして、会えない日々の辛さを思い出しては落ち込む。それを馬鹿みたいに、繰り返している。

インディーズデビューを果たしたYZYは瞬く間に躍進し、オリコンというものにも入るようになった。
ラジオでもよくかかっているし、雑誌にもよく載っている。
今一番注目の若手ロックバンド、なるものに、YZY__もとい、銀時はなってしまったらしい。
そうなると、必然的に会える時間がぐっと減る。銀時は、何とか時間を割いて俺に会いに来てくれる。
俺よりも銀時の方が寂しがり屋のようで、会えたときの甘え方ときたら半端ではない。
それでも、俺から押しかけることは何となくできなかった。
邪魔になる、というのもあるし、銀時が「ギン」であるところを間近で見るのが怖いというのもあった。
雑誌に載っているPR用のバンド写真は、陰影が色濃く付いている所為もあってか、本当に見たこともないバンドみたいになっていて、
初めて見たときは誰か分からなかった。


「桂?」


雑誌に全意識を集中させていた俺の心臓は、不意に声を掛けられたショックで大きく跳ね上がった。
振り向くと、其処には眼帯をした、妙に派手な成りの男が薄ら笑いを浮かべながら立っていた。


「高杉。奇遇だな」

「久しぶりだな」


高杉晋助とは、秋学期の小ゼミのグループワークがきっかけで、話すようになった。
ろくに話し合いにも参加しなかったのに、発表当日には教授も舌を巻くような論文を持ってきて、それで俺たちは単位を貰えたようなものだった。
あまり授業で見かけることはなかったが、下宿先が近いこともあってかよく近所でばったり会っては他愛のない世間話をした。
どうやら群れることが嫌いらしく、学部ではいつも一人だった。
しかし、高杉くんっていいよね、という女子の声をよく耳にするあたり、人気はあるらしい。


「何、お前。ロックなんか聴くのかよ」


俺の見ていた雑誌を一瞥すると、高杉は意外そうに言った。


「あ、ああ、最近ちょっと興味が出てな」

「へぇ、じゃあうちのサークル入れよ。いつでも歓迎するぜ?」


くつくつと不気味に喉で笑って、全く心にもないであろう言葉を高杉は吐いた。
彼は学内で最大手の軽音楽サークルに入っていて、組んでいるバンド(Devil Soldiersとかなんとか)はかなり人気があると聞く。
しかし、過激すぎるパフォーマンスで大学付近のライブハウスからは出入り禁止を喰らっていると本人から聞いたことがある。


「1回生、沢山入ったんじゃないのか?随分人気みたいじゃないか、貴様のバンド」

「数が多けりゃいいってもんじゃねぇよ。今何かのアニメ流行ってる所為で、ミーハーな奴等ばっかでこっちは苛々しっぱなしだ」

「大変だな」

「まあな。そうだ、ちょうどいいわ。今からお前ん家行くわ」

「は?」


唐突すぎる高杉の最早提案でもない決定事項に、俺は戸惑った。
今からって、今は既に夜中の1時だ。明日も授業があるというのに何を言い出すのか。


「何を言って」

「いいじゃねえか、ドタキャンされて暇なんだよ。堅いこと言わず付き合えや」

そう言うと高杉は迷わず酒のコーナーへ向かった。
俺は何だか呆気に取られて、断る気力もないままに彼の後に続いて一緒に酒を選んだ。














「マジウザいあの女」
要は、高杉は俺に彼女の愚痴を言いに来たのだった。
勝手にくつろぎ始めた高杉を尻目に、俺は蜂蜜梅酒をコップに注いで温めた。
何となしに、いちごチューハイを買ってしまったことに少し後悔した。


「あっちが好きだ好きだうるせーから付き合ってやったってのにドタキャンするか?普通。
しかも理由が好きなバンドのゲリラライブがあるから、だとよ。ふざけてんのかマジで」


そう愚痴をこぼす高杉の左指には、ペアリングが光っていた。
俺は心此所にあらずの状態で、ふんふんと頷いてたまに相づちを打った。


「おい聞いてんのかよ」

「聞いてるだろ」

「で、お前は最近どうなんだよ」

「どうって何がだ。主語がないぞ高杉」

「普通最近どうだって聞かれたら女絡みの話だろ。察しろよ」


女絡み、と言われれば最近話したのは幾松さんと(話したというか一方的に怒鳴られた)、勧誘で近寄ってきたテニスサークルのジャージの金髪の子ぐらいだ。
その旨を伝えると、お前ほんとに寂しいな、とあざ笑われた。


「いや、でも付き合ってる人はいる」

「は?何だよそれ。そういう話をしろよ始めから」

「だって貴様は最近どうだとしか」

「めんどくせーなお前は」


面倒臭いのは夜中の1時にいきなり他人の家に押しかけて酒を飲みながら愚痴るお前だろ、と平手を喰らわしたい衝動を抑えつつ、俺は温めすぎた梅酒を啜った。


「うまくいってんの?」

「向こうが忙しくてあまり会えてない」

「マジかよ、それ浮気されてんじゃねぇ?」

「!そうなのか!?」


浮気、という単語を思い浮かべたことがなかった俺は、その言葉に胸を抉られたような錯覚さえした。
しかし、よくよく考えてみれば有り得ない話ではない。
銀時はきっと今まで以上に多くの人たちと交流を持っているだろう。ファンだってずっと多くなったはずだ。
2週間に一度会えるか会えないかといった状態で、ふらふらと可愛い女の子に眼が向いている可能性は存分にある。
俺とこうなる前は、ファンの女の子とよく遊んでいたと銀時自身が言っていた。
俺は急に不安に襲われた。考えれば考えるほどに疑心暗鬼になっていく。
それから、忘れていた問題がひとつ__俺は男なのだ。男同士で付き合うことなんて、傍から見れば異常だ。
銀時はもしかしたらそれを痛感しているかもしれない。


「おい、大丈夫かよ…冗談だって」

「あ、ああ…酒のせいだ」

「そんな甘ったるい酒飲んでるからだろ。それともあれか?手前の連れが好きなのか?」

「違う、それはいちごチューハイの方だ」


マジかよ、と高杉は鼻で嗤った。そして自分のボトル買いしたジャックダニエルのお代わりを俺の貸したステファン柄マグカップに雑に注いだ。


「何だよ、浮気かもって思い当たる節でもあんのか?」

「例えばどういう節があれば浮気かもなんだ」

「まあ、連絡が減るとか。あとは、お前が向こうを満足させてないとかだろうな。一番あり得そうだわ、お前のその女顔だと」

「満足と俺の顔がどういう関係があるんだ、意味がわからん。というか女顔ではない」

「お前ほんっと鈍い野郎だな。ちゃんと気持ちよくさせてやってるのかってことだよ」

「ああ、まあな。俺のマッサージは極上らしいぞ。何かな、肩のツボを押すのが相当上手いらしい」

「わざと言ってんのか?セックスの話に決まってんだろーが」


思わず、飲みかけた梅酒を高杉に吹きかけるところだった。そうか、そういうことか。
確かに、俺と銀時はそういう類のことはしている。死ぬほど恥ずかしいが、クリスマスにしたようなこととか、
もっと言うと口でとか、そういうことはしている。
__だが、性交渉はしていない。銀時はそこまで俺に求めてこないし、俺も何となくそういうものかと思っていた。


「……したことがないのだが」

「それ本気かよ。付き合ってどのぐれぇなんだ」

「半年」

「おいおい。そりゃ、マジでやべぇぞ」


高杉は片目に、本当に真剣な色を浮かべて俺ににじり寄ってきた。俺は少し気圧された。
それはそんなに、マズいことなのだろうか?性交渉をしていないということが?
少なくとも俺は、銀時と一緒にいるだけでこの上なく幸せなのだが。
銀時は、違う、のか?


「向こうもよぉ、半年も経つってのに一向に迫られないってなると、かなり不安になるぜ?何も言ってこねぇのかよ?」

「ああ…特には」

「あー、そりゃあマズいな。言ってこねぇってことは見限られてんだよ。別の野郎と関係持ってたって全然おかしくねぇ」


そうか。やはりそうなのか。
銀時が俺に求めないということは、他に性的欲求を解消できる相手がいるということだ。
どうして今までそれに気付かなかったのだろう。何の根拠もなく、銀時は俺を好きなままでいてくれると思っていた。
それは自惚れ、夢幻。現実的に考えれば、当然だ。しかも相手に困ることなどないだろう。
何と言っても、今誰もが注目している若手ロックバンドのボーカル兼ギターだ。
『ロック界に突如現れた白き夜叉』『テクニックも表現も、そしてギンのビジュアルも全てが一流レベル』なのだ。雑誌の受け売りだが。

 その時、突如として携帯のバイブが唸った。画面を開くと、「銀時」の文字が浮かんでいる。
反射的に出てしまった。今何を話すべきか、さっぱりわからないと言うのに。


「…もしもし」

『ヅラアー!!ワタシワタシアル!!』

「あ、神楽ちゃん…?」

『ヅラ最近一緒に遊んでないヨー。ワタシ寂しいヨー!ギャハハハハ』


電話口の神楽ちゃんは、明らかにへべれけに酔っていた。時折こんな風に銀時の携帯を勝手にいじって俺に電話を掛けてくることがある。


「おい、ちょうどいいじゃねぇか桂。今聞けよ」

「うるさい、これは違…」

「隠すことねーだろ?何だよ、しかも酔い潰れて電話かよ。貸せ、俺が一言言ってやる」


顔が赤いあたり、高杉も少し酔いが回ってきたのだろう。俺からすごい力で携帯を奪い、勢いで捲し立てた。


「おい、てめぇいい加減にしろよ。こいつの気持ちも考えねぇで何のつもりだ?腹立つんだよ、いい気になんじゃねぇよ。
何がバンドだふざけやがって、俺はなぁそんなわけのわかんねぇ奴なんかよりあいつを大事にしてるつもりだっつの何が不満なんだ馬鹿野郎が!!
好きだって言ったのはお前だろうが!!」

「ちょ、高杉何喋ってるんだ!」


少し酔っているかと思いきや、高杉は予想以上に酔い潰れていた。俺は慌てて電話を切ったが、未だじたばたと騒いでいる。
ふざけんなよまた子てめぇええ、とどうやら途中から自分の彼女への思いの丈をぶつけていたらしい。
酒の入った時に勢いに任せて話すと、こういうわけのわからない事態に陥りやすいのはたぶん多くの人がそうだろう。
その後高杉は酔いが更に回り、泣いたり怒ったり笑ったりと人の部屋で散々騒いでから明け方に彼女、また子さんからの電話でようやく俺の家を去った。
部屋には酒の瓶とこぼれたウィスキーの沁みだけが残った。





YZYの知名度=DOES 高杉の知名度=俺<高杉≦俺の大学のプロレスサークル
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