小さい頃よく考えてた。俺たちは一体どんな大人になるんだろうって。
これから先の未来には、どんなことが待っているんだろうって。
ヅラは塾の中で一二を争う変人だけど、何だかんだで勉強はできるからもっと勉強してきっとお医者になるんだろう。
あいつは立派な桂家の養子として相応しく生きるのだと再三言っているし、どこぞの大きくも小さくもねぇ町に
でも診療所を構えて、町医者としてガキどもにいい遊び相手にされんのが目に見える。
ま、俺は病気になってそこしか病院がなくても絶対奴のところには行かねぇけど。
晋坊はミーハーで影響されやすいから村を出て、お江戸の街にでも行っちまうかな。
でもボンボンの甘ちゃんだからすぐ村恋しくなって結局センセーのところに泣いて帰ってくるだろう。
彼奴はいつまでたっても子供のまんまでいそうだわ。禿びだしな。
俺?俺は…そうさなぁ。
デカい夢追いかけて街に出んのもロマンがあっていいけどよぉ。俺は何だかんだで、この村が好きだからね。
いけすかねぇ奴もそりゃいるけど、ここは居心地がいい。俺はこの狭い村の小さな塾が俺の家なんだと心から思えるんだ。
だから結局は、この村に残ってセンセーの塾の手伝いとか田植えとかして、自給自足して暮らすかななんて。
だだっ広い都会で一旗揚げたいともそりゃあ思うけどよ。夢を見続けんのは多分俺の性には合わないんじゃねぇかとも思うわけ。
まぁそんで、別嬪な嫁を貰って毎晩子作りに励んで、自分のガキをいっぱい作りたい。
そいつらに剣術とか教え込んで、「坂田流」とかいう流派を大成させたりとかして。
そんな風にして、本物の家族を作るんだ。
で、いつかセンセーがジジィになったら俺が引き取って、介護してやってもいいかな。
センセーには随分世話になったわけだし。つっても、大人しく介護されてるタマじゃねぇか。
無駄に90歳超えても村のガキに剣道教えたりしてそーだし。
それでも、センセーは俺に初めて家族をくれた。だから俺は今飯にも着物にも寝るところにも困らず、ふつーに馬鹿な奴らと
馬鹿やりながら幸せに生きていけるんだ。
きっとヅラも晋坊も、いつか此処に帰ってきてまたみんなでこの村で過ごせる。あいつらはなんだかんだで結構此処が好きだから。
俺たちには帰ってこれる場所があるんだ。故郷、ってやつだよな。持ってみるとイイもんだよ、意外と。
センセーとヅラと晋坊と俺とで、おっさんになった自分たちを笑いながら思い出話に花を咲かせるんだ。
晋坊が夜中に花火振り回してめちゃくちゃ怒られたこととか、ムカつくじぃさんの田圃に蛙50匹放したこととか、ジャンプに載ってた
好きな漫画のこととか、そういう他愛ない馬鹿話。
俺ら今も何も変わってねえー、とか言ってそうだな。おっさんになった姿は想像できなくても、おっさんになって話すことなら全部目に浮かぶ。
まぁ、これが俺の夢。一番簡単に叶いそうな夢だけどよ、夢ってのは大体そんなもんでいいと、俺は思うよ。
あ、あとあれ。今江戸にはぱふぇってのがあるらしいんだよね。でっけぇ陶器に絶品の甘味ばっかり詰め込んだすっげーらしいやつ。
あれ一回でいいから食ってみたいな。
それこそ江戸に住めば毎日食えんだろうけど。
ま、萩の田舎者はとき屋の三色団子で我慢するとすっかね。
















































幕府から吉田松陽の江戸護送が命じられたのは、梅の開花を思わせる初春の頃であった。
吉田が投獄されるのは是が初めてではない。理に走りすぎて現実に対して少々浪漫的な彼の性分が災いして、
その大胆で奇抜な行動ゆえにこれまで2度ほどお咎めを藩から喰らったことがある。
2度目の謹慎中に開いたのがこの松上村塾で、実際問題そんな狼藉者まがいの男のところに生徒が集まるのか
分かったものではなかったのだが、今や三十を悠に超える武家の子弟たちが吉田を師と仰ぎ、教えを請うようになった。
藩の中でも上流の家系である桂家の養い子、小太郎もそんな生徒の内の一人であった。
「しかし、…わざわざ江戸に?」
現当主である養父から吉田護送の件を教えられたとき、桂は思わず膝に置いた拳をぎゅっと握りしめた。養父の表情は暗い。
奇人ぶりが目に付きがちな吉田の塾にはどちらかというと下級武士の子弟たちが集まっていたにも関わらず、大事な跡取りである
小太郎を門下生とすることを快諾した彼もまた、吉田を見込んでいた人間のひとりであるに相違なかった。
「江戸といえば」
養父は険しい表情の儘切り出した。
「あの新しい大老殿のお陰で、動乱の真っ直中だ」
天人と呼ばれる異種の者どもが日本に武力で以て開国を迫って早数年、各地で攘夷と銘打った反乱が相次ぐ中今まで
済し崩しだった幕府の行政が北紀派出身である彦根藩主・井伊 曲弼が大老に就任してからというもの、一気に変動した。
__否、悪転、というべきか。
「…父上、もしや」
利発な小太郎の脳裏には、多発している弾圧事件が即座に浮かんだ。まさか、こんな片田舎のちょっとした思想家が?否応なしに心臓が
収縮を繰り返し、こめかみに脂汗が滲む。縋るように養父の顔を見つめるが、彼もまた、眉を顰め無念そうに唸るだけであった。

「覚悟せんといかんかもな」

鉛のような其の言葉に、桂は遂に項垂れた。



















吉田護送の件は、瞬く間に村中の者の知るところとなった。
護送は真夜中過ぎに密かに行われたようで、小太郎が養父からこの件を聞いた翌日には彼は村から姿を消していた。
塾は当然閉校を余儀なくされ、生徒たちは突然のこの事態に騒然とした。大将風情の者などは師を悪人の手から
取り戻そうなどと唱え出し、有志と共に決起していたというが、そんな計画は日の入りの時刻には夢と化していた。
「あまり騒ぎ立てるでないぞ」
養父がそう念を押したのは尤もなことで、今此処で自分たちが妙な計画を起こせばお上の神経を逆撫でしかねず、
逆に師を殺す事態になる可能性が大いにあった。其れを桂はよく理解していたが、本心は今すぐにでも江戸へ向かいたかった。
何も行動せずに運命に身を委ねることは、想像以上に過酷なことであった。
それでも己を律し、周囲の門下生には充分な注意と説得を試みた。その甲斐あってか、誰も目に余るような抗議を行うことはなかった。
とある短い手紙が桂家に投函されるまでは。



「拝啓 桂 小太郎殿
前略
我が師の危機聞き申し上げ候。我を含め江戸におりし門下の者ども、師の救出を致したく候。
師が江戸に到着し次第、奇襲を決行致したく候。
後略
 高杉晋助」



「…あの阿呆が…」
江戸に遊学中の、同じく吉田の門下生である高杉からの手紙を読んだ桂は愕然とした。
彼は激情家で、殊更吉田のこととなると後先考えず行動することが多く、桂の心配していた通りの行動を取ってくれた。
桂は直ぐに筆を取り、そんな幼稚な考えは直ちに捨てるよう訴えた。ここで冷静にならずいつなるのだ、師を殺すような
真似はするな、と。しかし、彼からの返事はなかった。
 ところで桂には、もう一つ気になることがあった。吉田が姿を消してから様々な対応に奔走していて気付けなかったのだが、
吉田にはただ一人、同居人がいた。
(…あれの姿が見えんな)
吉田が見る者全ての目を引くような鮮やかな白髪の少年を連れてきたのはもう何年も前のことだった。
どういった経緯で、だとかいうことを桂は知らない。周囲の人間は気になって仕方がない様子であったが、そんなことどうでもいいことだと
桂は思ったし、今もそう思っている。そんなことを知らずとも、桂は彼と無二の親友になったのだ。
 しかしこの狭い共同体で希に見る動乱の数日間、その友の姿を一度も目にしていない。
塒であるはずの塾はしんと静まりかえっており、誰かが居る気配すらない。
無論、村の者に居場所を尋ねてみても誰もが無関心だった。塾生はともかく、大人にとって彼は_銀時は、未だに「化け物」であるらしかった。
 住処を追われたのなら、まず一番に自分を頼ってくれると思っていたのだが、と桂は少しの寂寞に襲われたが、
彼には他人に迷惑を掛けることを極端に避ける傾向がある。
恐らく上流階級である桂家に自分のような異形をした男が転がり込むことは、家の、ひいては小太郎の恥になると考えでもしたのだろう。
(本当に、俺の友は阿呆ばかりだな)
 吉田が消えてから3日目の早朝、桂はいつもの袴をしっかりと着込み、いつもの勉強用具と竹刀、それに少し多めの昼食を抱えて、
家の門をくぐった。
塾で少し自習してから、あの賤しい天然パーマを一発小突きに行こう。その頃には丁度昼飯の時間だろうから、奴と一緒に昼食を取ればいい。
その後の予定は食べながら考えよう、と桂は足取りも軽く1日の予定を考えていた。
 桂には銀時の捜索に時間を費やすつもりなど毛頭なかった。幼馴染みを迎えに行く場所の宛は、始めからちゃんとあるのだ。
少し急な坂道に差し掛かり、生ぬるい風が吹いたかと思うと、鼻先を梅の匂いがくすぐった。桂の歩調は知らず知らず遅くなる。
「東風吹かば、」
匂い起こせよ梅の花、主なしとて春な忘れそ、と昔覚えた詩を諳んじながら、桂は塾へは行かないことに決めた。
同じ詩が好きだという白髪頭の友人に、会いたくなったのだ。